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【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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そういや、この企画進めるの忘れてた(挨拶

というワケで諸君。ドバイ紀行の執筆を再開。
何故、ドバイ紀行の執筆を忘れたのか。当初は忘れたのではない。断念しておったのである。今回執筆するネタを某所にてネタバレされたからなのだ
とはいえ、ネタバレした本人と、ネタバレされた腐敗以外、そんなことは預かり知らぬこと故、此処に来て執筆を試みる次第。

結局、忘れておったのだがな

ドバイでのトヨタ車のシェアは非常に高く、無理から左ハンドルに改造したモノも含めると6割を越えるくらいになるらしい。高級車もベンツやBMWよりレクサスのほうが圧倒的に多い。寧ろベンツなどは殆ど見ない。
確かにとんでもない大金持ちはベンツやBMW、フェラーリ、ポルシェ、マセラティなどに乗っておるが、大半は庶民故、そのような高級車を殆ど見かけないのである。
否、待て。ベンツのCクラスやBMWの3シリーズを見かけないと記すほうが適切かもしれぬ。要するに、中途半端な金持ちはレクサスに流れておるのである。

まったくトヨタにとって理想的な勝ち方がドバイでは展開されておる


とあるホテルのエントランスで撮影

ズラリと並んでおるのは、レクサスESである。ほら、『日本名、ウィンダム』と宣伝されておったアレだ。日本では既に廃モデルとなり、今やウィンダムといえば、水虫の治療薬を連想するようになった
ところが、海外のレクサスに於いては、ESはなかなか売れ筋のようで、アメリカでもしょっちゅう見かけたモノである。ESはドバイでも大量に湧いておった。ドバイでは、全レクサスの6割くらいがESで占めておるように見受けた。
このホテルでは、客の送迎用にESを配備しておるようである。日本ならば、クラウン辺りを宛がうのであろうが、ドバイではESらしい
尚、現行のESは先代(ウィンダム最終型)に比べ、コンパクトな印象になっており、パッと見、ISと勘違いしてしまう。エクステリアも重厚長大から、ISらしいコンパクトさを押し出しておるようだ。ドバイではアップで撮影出来なかった故、アメリカで撮影したESをアップしておく。


前から



後ろから

詳細スペックはアメリカ辺りのレクサスのサイトで調べろ
なかなか手堅いデザインで纏まっており、日本で売っても割と成功するのではなかろうか。値段さえ安ければ

カムリもアメリカと同様、相当数湧いておった。直4モデルもあるが、注目は日本では存在しないであろうV6である。アップした写真の構図が中途半端なのは、高速道路の渋滞中、車窓から撮影した故。


何処かで見たことのあるロゴ


Grandeってヲイ

かつて誰かさんが人柱的にやっておったネタが今でも存在しておった。どうやら、クレシーダ廃止後、カムリがレクサスを除くトヨタの最上級車になったようで、中でもV6エンジン搭載車は、Grandeのネームを冠するようになったっぽい。クレシーダの後継であることを自認しておるのであろう。


カムリグランデ

手ぶれがみっともない
前回、紹介した赤いクレシーダの近くに止まっておったのを撮影。


近くに寄ってみる

これは100系マークIIのGrandeのロゴをそのままパクっておる。
XV30系のオーナー諸君はこのネタに挑むべきである。
寧ろ、サイドステッカーも逝くべきである。
とはいえ、日本にV6モデルが無いのは悔やまれる。


オマケ

同じく、高速道路の渋滞中に撮影。アップは掲載せぬが、日本では廃モデルとなったアバロンである。こんなところでまだ生息しておった。

ということで、次回のドバイ紀行はいよいよ最終回である。最終回に相応しく、レクサスGSネタで逝ってみようと思う
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アメリカで貰って、ドバイで悪化した喉の痛みが未だ治らぬ。寧ろ酷くなっておる。多分、此処数日の冷え込みが悪い(挨拶

先日の腐日記でアラブ人はボンマスが好きっぽいと記したので、どんだけボンマスが好きなのか、幾つか紹介してみようと思う。


割と古いランクルである

ボンネットの先端に注目。




さらに・・・


日産のもあった

車種は失念
この他にも、三菱とかもあったし、メルセデスもあった。メルセデスは珍しくも何ともないがな

それでだよ、諸君。一度仕事の絡みで、輸入した新車の在庫置き場に逝く機会があったので、プライベートのデジカメを片手に潜入してみたのである。



プラドがあった。ってヲイ。何か違うと思い、グリルに近寄ったところ、


キタキタ

中国のメーカー製だった。テレビでCR-Vとかハイエースとかは見たことあったが、プラドは初めてである。しかもメーカーのマーク以外ソックリなのだ。ヘッドライトなんか、中国にあるデ●ソーの工場から大量発注しているのか。はたまたヘッドライトを作っている下請け工場から同じなのを頼むぜ、ベイベーとか言って、横流し同然の所作をしておるのではないか

色々と愉快な想像が出来る一台であるな、諸君

尚、内装は大して似ておらんかった。
とはいえ、ドバイでの日本車人気を感じ取れる現象であった。因みにこんな「SOMY」とか「NASHINAL」(無くなってどうするよ)などのブランド紛いな偽物を作っておるのは、中国でもかなり弱小のメーカーばかりだという。
中国では目下100社以上の自動車メーカーが乱立しており、生き残るのは数社に留まるらしく、あとの弱小メーカーはブランド力が弱い故に、犯罪行為を承知で偽物を作るのに精を出しておるらしい。まぁ、犯罪行為であろうと中国国内に於いては、お上の保護を受けられるので、中国で売りさばくには本当は大問題だが問題ない。とはいえ、外国でこんな商売をするのはいっくらなんでも拙いだろう
それで、流石に紛い物らしく、安いがドバイの過酷な環境に晒されては直ぐに壊れるようで、特に冷却系がサッパリダメとのことだった。


ずっらー

しかもこのランクル、在庫は数台ではなかった。多分100台以上あったと思う。嗚呼、後ろに並んでおるマイクロバスは彼のタタ自動車製だった。

紛い物ばかり見ると気分が宜しくない故、次回は真っ当な日本車を紹介してみようと思う。

イ●ンみたいなところで喰ったケバフ

トルコ料理だが、何しろ全住民の8割がアラブ人じゃない国である。異国の料理も珍しくない。ただ、左下のタマネギは焼いたというより燃えた代物だった(挨拶

さて、諸君。上記に記した通り、ドバイの住民の8割は非アラブ人である。トルコ系、インド系、パキスタン系、フィリピン系が大半を占める。あとは黒人やその他のアジア系だ。で、非アラブ人の殆どは出稼ぎでドバイにやって来ている。やはり給料が良いのであろう。
それで、どような仕事に従事しておるかといえば、ありとあらゆる仕事。というしかないほど、ドバイに溶け込んでおる。肉体労働は勿論、頭脳労働にも多くが従事しておる。本当に乗っ取られるんじゃねえかと心配になるほどだ

それで、ドバイの肉体労働といえば何を連想するかね。やはり油田掘りをイメージしないだろうか。ところが、ドバイは意外なことに油田は殆どない。無論、日本に比べればあるのだが、他のUAEの首長国と比べれば無いに等しい
UAE全体で見れば、石油埋蔵量だったか産出量だったか、世界でも屈指である。ところがドバイだけ何故か無いのである。聞いた話によると、15年くらい前に産出量のピークを迎え、そのまま徐々に枯渇しているという。故に、ドバイはオイルマネーでウハウハと、とてもじゃないが言える状態ではないのである。
そこで、この状態に危機感を強めた先代の首長さんが、石油が無いなら他で稼ぐしかねえべ。と音頭を執って始まったのが、ドバイの乱開発壮大な開発劇なのだ。先代の首長さん曰く、

兎に角、箱を作れ、箱。あとは誰かが入ってくれる

まるで何処かの役人のようである。←この人たちを彼の国に送り込めば、非常に有能なテクノクラートとして活躍出来るはずである。何しろ、箱・LOVE。な人たちなのだ。首長さんとも話が合うだろう。そうすれば、

肥大化した組織のリストラにも繋がるし、
給料は首長さんが出してくれるし、
ついでに国庫に仕送りさせれば、多少の赤字の補填にもなるだろう

というワケで、この画期的な提案を口がへの字に曲がっおる次期首相は参考にしても良い。

話を戻すが、つまりドバイの大開発はこのような経緯でスタートしておるのである。因みにドバイの大開発が始まった当初、日本のあらゆる企業は、んな夢物語があるか、ヴォゲ。って姿勢を貫いておった。ところが夢物語ではなく、大開発に乗り込もうとしたときは遅かった。美味しい事業は殆ど外国の企業に奪われ、日本の企業は下請けが多いという。冒頭に紹介したドバイタワーは韓国のゼネコンが受注を獲得し、日本の企業は僅かにエレベーターと電設工事に松下が入っておるだけという。
とはいえ、もう手出ししないほうが良いだろう。バブルが弾けるのは目の前なのは明らかだからだ。既に手を出してしまった連中は、これで止めると何もかもが終わるから止めるに止めれない。といった事態に陥っておるのだ。

もしかしたら、史上初の破産した国家になるのかもしれぬ

ただ、ドバイの無謀な進取に富んだやり方は、他の石油産出国の共感を得ておるようである。何故なら、どの産出国もポスト石油を模索しているからである。


閑話休題。


お待たせ

81系の登場である。否、80系のほうが適切かもしれぬ。81と限定すれば、何かと突っ込みが入る恐れが大だからである。
80系は日本からやって来たHT系も含めて数台目撃した。但し、クレスタとチェイサーは見かけなかった。それで幸い撮影出来たのは、今回掲載する画像のみである。やはり移動中の撮影は難しい

さて、上記の写真も移動中に撮影した1枚。普通にクレシーダである。注目すべきは、バンパーとボンネットマスコット、そして、


これ

クレシーダのステッカーである。【Grande】はMさんが体当たりのネタを披露しておったし、【GT-X】もMさんからの情報を頂戴し、耳(目)にはしておった。でもって、【GT-X】は拝むことも出来た(未撮影)。ところが【CRESSIDA】は初めて見た。
これに限ったことではないが、アラブ人はどうもサイドステッカーが好きらしい


色がキテル

これは最終日、ドバイの市場にある駐車場で撮影した1枚。
ホイールキャップが90用である。MarkIIのロゴを見て、オーナー様はこれやーって勢いで買って装着したのであろう。他、国内向けと違うといえば、ラジオのアンテナくらいであろうか。


前からも撮影

気の毒なことにボンネットマスコットが折れて無くなっておった。
しかも、同行者がさっさと行ってしまうので、慌てて撮影したもんだからバンパーなど細かいディディールに迫る写真がまったく撮れなかった。

因みに撮影は出来なかったが、最も81netドバイ支部長に推挙したいクレシーダは、【GTX】のサイドステッカーとボンネットマスコットを身に纏い、81グランデリミテッドに標準装備されておったメッシュホイールを履いておった(何処で手に入れたんだ)、純白のクレシーダを強く推したい。

多分、ヤツもマニア

尚、ドバイでは大開発も一息憑いたのか、環境について叫ばれるようになっておる。そのひとつが、新車登録をして20年を経過したクルマは、以後登録出来ない。というものである。つまり20年経てば強制的に廃車にしなくてはならない。つまり最終登録年が1992年たるクレシーダの場合、あと4年でドバイから姿を消す運命にある。だから、

聖地(いつの間にか)ドバイで活躍する80系を見るなら今のウチだ、諸君

ドバイにだってケンタくらいある(挨拶

前回に引き続き、ドバイのMarkII事情に憑いて報告したい。
その前にドバイというか、UAE(アラブ首長国連邦)に憑いて少々解説。これから暫くの腐日記を読むに当たり、何かと役立つかもしれぬ。まったく役立たないかもしれぬ

UAEの面積は日本の5分の1足らず。江戸時代の末期、井伊直弼が桜田門外でチャンバラをしておった頃からイギリスの植民地になる。隣国のサウジアラビアとかは割と早くからイギリスから独立したというのに、UAEはつい最近までイギリスの支配下にあった。1971年、日本でマクドナルド1号店が出来た年にようやく独立を果たす。
アラブ首長国連邦は名前の通り、7つの首長国が連邦を形成しておる。そのうちのひとつがドバイ首長国である。
首都はアブダビ。アブダビは最も有力な首長国で、歴代の大統領はアブダビから輩出される。ドバイは2番目に有力な首長国で、歴代の副大統領が輩出されておる。因みに首長が大統領や副大統領を兼任する。
首長とは要するに王様である。とはいえ、イギリスなどのように憲法や法律によって牙を抜かれ、腑抜けになった王様でない。UAEの恐らく総ての首長国は江戸時代の徳川家、若しくはフランスのブルボン家やロシアのロマノフ家、ドイツのホーエンツォレルン家よろしく、絶対専制君主として君臨しておるのである。国民には選挙権すら無い。だかからといってお馬鹿なお妃が、

パンが無ければケーキを食べればよござんすのよ、この愚民達ったら

とか吐くという事態には陥っておらぬ。そんなことをすれば即革命間違いナシである。そんな事にならぬ為、首長さんたちはさぞ苦心しておるだろうし、何よりオイルマネーで潤っておるので、特に税金を搾り取る必要もない。
善政に浴しておれば、特に不平不満を鳴らさないのが民衆だと言ったのは、彼のマキアヴェッリだが、まさにそれを体現しておるのである。事実、政治に関与出来ない以外は実に暮らしやすそうな国であった。ただクソ暑い故、その点だけは暮らしにくい

長くなってきたので、ドバイ自体の話は次回に持ち越す。
では本題

ドバイは昔からあの辺の交通の要衝として栄えてきた街(首長国)である。だから今日有力な首長国に成り得たワケだが、その面影というか活気は現在も息憑いておる。小さな入り江にはかつて瀬戸内海を逝き来しておったポンポン船が往来し、様々な物資や人間を運んでおった。無論、クルマも物資のひとつである。それで早速面白い物資が転がっておった。


面白い物資

日本から流れて来たこと確実な70MarkIIワゴンである。グランデかどうかまでは確認出来なかったが、ヘッドレストとホイールのショボさ加減から4気筒モデルと推察する。因みに右ハンドルのままである。このまま何処かに運ばれて細切りされる運命にあるのだろう。


面白い物資其の弐

90MarkII後期2.0レガリアである。このテールを一目しただけで判別出来た。病気であるな、諸君。このクルマも右ハンドルのままであった。


面白い物資其の参

90MarkIIの後方に鎮座していたのが、100MarkII前期2.0レガリアである。誰かさんのクルマを思い出した。彼のクルマほどネタではないものの、此処に運ばれた時点で充分ネタだと確信する。このクルマも右ハンドルのままであった。


このショット。まるで日本に帰ったようだ

次のロケ地に移動中に撮影。残念ながらグレードの判別は出来なかったが、後席のヘッドレストが可倒式であるのと、僅かに見えるテールランプに横筋が見えない故、前期の2.5グランデ以上と思われる。

日本で余計なことをしておらん限り


純正フルエアロを組み、何よりサイドのエアロパーツとボディの隙間に生じる黒い筋もしっかり塗装しておるのに好感が持てる。総て日本でのチューニングの筈である。元オーナーが現れることを切に期待しておる
尚、分かりにくいが既に細切りされ、左ハンドルに改造されておった。


廃車ではない

これも移動中に撮影。慌てて撮った故、ブレブレである。しかもオリジナルには小さくしか写っておらぬ。
110MarkII後期レガリアである。グランデGという見立てもあるが、アルミがガンメタに塗装されておった故、レガリアの可能性が高い。日本で余計な換装をしておらん限り。尚、2.0か2.5の判別は出来ぬ。
これらのクルマは廃車ではない。港に陸揚げされたクルマたちである。即ち、これから出荷なのである。やたら汚いのは凄まじい砂塵の影響による。数日放置しておけばこのような様になるとのこと。

それにしても110後期といえば、古くても登録して5年といったところではないか。こんなに新しい年式がドバイに転がっておることと、左ハンドルの日本車ではなく、右ハンドルの高年式車も人気があるのだと驚いた。


MarkIIじゃないけど

14クラウンである。前期のロイヤルサルーンGであった。写真を見ての通り、しっかり細切りされた跡がある。車内は例のフルスモークで撮影は不可能であった。

以上がドバイのMarkII事情である。日本の中古車で目立つのは何故かMarkII系だった。贔屓目でない。これがアブダビに逝くとカローラ系が目立つ。なんだかんだ言ってドバイって裕福なんだなと実感。アブダビのタクシーはカローラが殆どなのに、ドバイだとカムリが殆どだったもんな。


嗚呼、そうそう。諸君から

ドバイのMarkII事情に憑いてって記しときながら、肝心の81系が無いじゃねぇか、このボンクラ

などといったナイスな突っ込みが聞こえてくるようである。心配すんな、お楽しみは最後まで取っておくもんだ。次回は81系などに憑いて報告する。

ホテルの窓枠にこんなのを貼っておった(挨拶

ドバイに来て最初の1枚。要するにメッカはこちらって意味。1日確か5回だったか、メッカに向かって礼拝するのに必須のアイテムといえる。腐敗的にかなりカルチャーショックを覚えた。戒律が比較的緩いUAEとて、やはりムスリムの国だと実感。

さて、今回の取材はドバイとアブダビの彼方此方が目的地で非常にタイトなスケジュールであった。それらの目的地のひとつにて、珍妙なMarkIIを見かけたのである。


こいつ

この色、日本であっても既にネタの領域に差し掛かっておる。ウインカーグラスが割れているのは惜しい。それにしても確か100系は日本専用モデルだった筈。日本で廃車となり、遙々この地まで運ばれてきたのであろう。右手にあるナンバーの取り憑けステーが何とも前オーナーが日本の若者だった感を醸し出しておるではないか。
尚、ドバイのナンバーは日本と同サイズのようである。



さらに後方に回り込んでみる。どうやら、前オーナーたる日本の若者(脳内にて仮確定)は純正のフルエアロを組んでおったようだ。なかなかやるではないか
さらに、グレードが気になり、近寄ってみると、


ツアラーVじゃねえかYO

とはいえ、グレード詐称の疑いもあるのでグレードに憑いてはペンディングして、車内を覗き込むことにした。


なんだこの違和感は。

写真を裏焼きしたのではない。運転席が左に憑いておるではないか。まてまて、100系は日本専用モデルだろ。頭がこんがらがってきた。
まぁ良い。その辺の謎もペンディング。車内を見れば、謎も自然に解けると思い、サイドガラスから覗き込んだ。ところが、真っ黒のスモークを貼っており、車内はうっすらとしか見えない。フロントガラス以外、総て真っ黒である。後になって話を聞くと、強烈な日光を避ける為、真っ黒にしておるという。中には総ての窓を真っ黒にしておるヤツも居った。日本のヤ●ザもビックリである。
因みに総て真っ黒にして車検に通るかどうかは聞きそびれた



それでも、手のひらでレンズを被い、写り込みを極力廃したのが上の画像である。
パーキングブレーキが右に憑いておる。そして、シフトレバーの隣にボタン類が3箇所とも埋まっておる。それも、助手席側に配されておるではないか。
こっそり輸出しておったMarkII(仮説)はコンソールまで手を施さなかったのであろうか。
また、ボタン類が総て埋まっておるということは、やっぱりツアラーVであろうか。
謎は深まる一方である。



今度は助手席側からアプローチ。やはりボタン類は埋まっておった。奥(右)からECT、電子制御スロットル、TRCだったと記憶しておるが、これらのボタン類は案外ダミーかもしれぬ。何しろダミースイッチを憑けまくっておったので、どうも訝ってしまうな、81系オーナー諸君



さらに視点を変えて1枚撮影。如何にも日本らしいカーナビが憑いておるではないか。さらに目を上に遣るとスイングレジスタースイッチが無い。この時点でほぼ、このクルマはツアラーVで無いことが判明

やっぱりダミースイッチか

とはいえ、こっそり輸出しておったMarkIIツアラーV(仮説)はその辺を省略しておったのかもしれぬ。疑えばキリがない。そうこう思案しておったら、次の現場への移動と相成った。
移動中、現地のスタッフに色もグレードも何もかも変なMarkIIが居ったと話したところ、日本で廃車になったクルマをUAEまで輸出し、強引に左ハンドル仕様へ改造するのだという。UAEの法規が数年前に改定され、輸入車であっても特殊車両以外右ハンドル禁止となったらしい。それで、左ハンドルに改造屋さんが彼方此方に出来て良い商売をしておるそうである。
尚、法規の改定以前に登録した右ハンドル車は取り敢えずセーフとのことだった。だから、比較的古い日本車の右ハンドル車は比較的多く見かけた。例えば、81系前期のグランデリミテッドツインカム24バルブとか。

それにしても教えられた事実を聞いて総て納得した。あの100系MarkIIは日本からやってきたのだと。そして、左ハンドルに改造屋さんの手で改造されたのだと。但し、面倒臭がってコンソールまでは手を憑けておらんのだと。でもって何よりあの100系MarkIIは紛れもなく、

前オーナーたる日本の若者(確定)がグレード詐称をしており、実はツアラーSなんだと。
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