【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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ドバイにだってケンタくらいある(挨拶
前回に引き続き、ドバイのMarkII事情に憑いて報告したい。
その前にドバイというか、UAE(アラブ首長国連邦)に憑いて少々解説。これから暫くの腐日記を読むに当たり、何かと役立つかもしれぬ。まったく役立たないかもしれぬ。
UAEの面積は日本の5分の1足らず。江戸時代の末期、井伊直弼が桜田門外でチャンバラをしておった頃からイギリスの植民地になる。隣国のサウジアラビアとかは割と早くからイギリスから独立したというのに、UAEはつい最近までイギリスの支配下にあった。1971年、日本でマクドナルド1号店が出来た年にようやく独立を果たす。
アラブ首長国連邦は名前の通り、7つの首長国が連邦を形成しておる。そのうちのひとつがドバイ首長国である。
首都はアブダビ。アブダビは最も有力な首長国で、歴代の大統領はアブダビから輩出される。ドバイは2番目に有力な首長国で、歴代の副大統領が輩出されておる。因みに首長が大統領や副大統領を兼任する。
首長とは要するに王様である。とはいえ、イギリスなどのように憲法や法律によって牙を抜かれ、腑抜けになった王様でない。UAEの恐らく総ての首長国は江戸時代の徳川家、若しくはフランスのブルボン家やロシアのロマノフ家、ドイツのホーエンツォレルン家よろしく、絶対専制君主として君臨しておるのである。国民には選挙権すら無い。だかからといってお馬鹿なお妃が、
パンが無ければケーキを食べればよござんすのよ、この愚民達ったら
とか吐くという事態には陥っておらぬ。そんなことをすれば即革命間違いナシである。そんな事にならぬ為、首長さんたちはさぞ苦心しておるだろうし、何よりオイルマネーで潤っておるので、特に税金を搾り取る必要もない。
善政に浴しておれば、特に不平不満を鳴らさないのが民衆だと言ったのは、彼のマキアヴェッリだが、まさにそれを体現しておるのである。事実、政治に関与出来ない以外は実に暮らしやすそうな国であった。ただクソ暑い故、その点だけは暮らしにくい。
長くなってきたので、ドバイ自体の話は次回に持ち越す。
では本題。
ドバイは昔からあの辺の交通の要衝として栄えてきた街(首長国)である。だから今日有力な首長国に成り得たワケだが、その面影というか活気は現在も息憑いておる。小さな入り江にはかつて瀬戸内海を逝き来しておったポンポン船が往来し、様々な物資や人間を運んでおった。無論、クルマも物資のひとつである。それで早速面白い物資が転がっておった。

面白い物資

面白い物資其の弐

面白い物資其の参

このショット。まるで日本に帰ったようだ
日本で余計なことをしておらん限り
純正フルエアロを組み、何よりサイドのエアロパーツとボディの隙間に生じる黒い筋もしっかり塗装しておるのに好感が持てる。総て日本でのチューニングの筈である。元オーナーが現れることを切に期待しておる。
尚、分かりにくいが既に細切りされ、左ハンドルに改造されておった。

廃車ではない
110MarkII後期レガリアである。グランデGという見立てもあるが、アルミがガンメタに塗装されておった故、レガリアの可能性が高い。日本で余計な換装をしておらん限り。尚、2.0か2.5の判別は出来ぬ。
これらのクルマは廃車ではない。港に陸揚げされたクルマたちである。即ち、これから出荷なのである。やたら汚いのは凄まじい砂塵の影響による。数日放置しておけばこのような様になるとのこと。
それにしても110後期といえば、古くても登録して5年といったところではないか。こんなに新しい年式がドバイに転がっておることと、左ハンドルの日本車ではなく、右ハンドルの高年式車も人気があるのだと驚いた。

MarkIIじゃないけど
14クラウンである。前期のロイヤルサルーンGであった。写真を見ての通り、しっかり細切りされた跡がある。車内は例のフルスモークで撮影は不可能であった。
以上がドバイのMarkII事情である。日本の中古車で目立つのは何故かMarkII系だった。贔屓目でない。これがアブダビに逝くとカローラ系が目立つ。なんだかんだ言ってドバイって裕福なんだなと実感。アブダビのタクシーはカローラが殆どなのに、ドバイだとカムリが殆どだったもんな。
嗚呼、そうそう。諸君から
ドバイのMarkII事情に憑いてって記しときながら、肝心の81系が無いじゃねぇか、このボンクラ
などといったナイスな突っ込みが聞こえてくるようである。心配すんな、お楽しみは最後まで取っておくもんだ。次回は81系などに憑いて報告する。
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