【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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目覚まし時計に起こされず、人間の本能のままに目覚めるって素晴らしいですね。お陰様で、体が言うことを聞くようになりました(挨拶
翌12日、8時過ぎに目覚め、身支度を調え、9時過ぎにはホテルを出発した。目指すはモニカ信長の居城であった安土城である。大阪より100キロほど走らせると到着した。なんだ、思ったより近いじゃねえか。
無事に到着。だーれも居ないと予想し、例の貧乏性を発揮して、ゆっくり見学しようとしたらこの混雑であった。しかも、駐車料金として500円を徴収された。
さらに拝観料が500円。政治的陰謀である。また、モニカ信長公の像を特別公開しておるらしく、これも見学しようとしたら、もう500円徴収された。しかも、漏れなく憑いてくる抹茶とお菓子は品切れで、サービスが振る舞われないにも関わらず、500円より値引きは無かった。これも摠見寺に依る政治的陰謀である。
気を取り直して入城。大手道を登っていく。この写真の左に羽柴秀吉、右に前田利家の屋敷があった。尚、階段は急峻そのもので、まったく人間工学に則っていない作りになっておる。お年寄りや、足腰の弱い諸君は逝かないほうが良い。とはいえ、敵より攻め込まれにくいように設計しておるのだから仕方ない。
暫く登って逝くと摠見寺がある。しかしこれは最後に見学することにして、一路天主台を目指して逝った。
天主台に至る途中、モニカ信長公の霊廟があった。但し中には入れぬし、墓そのものは木漏れ日などの影響でどうしてもキレイに撮れぬ故、入り口の瓦にあった桔梗の紋、即ち織田家の家紋のみを掲載する。
本丸跡を越えて、ようやく天主台に到着。この写真は丁度基礎の部分に該当する。地下1階部分でもある。不親切が旨なので詳しくはググれ。
天主台からの眺めを満喫し、ついでに涼んでから復路に憑く。順路を逝くと旧摠見寺があった。写真はその山門である。現在の場所にある摠見寺は後年移転したもので、安土城が築城された当時は旧の側にあった。
順路を下り、ようやく摠見寺に到着。モニカ信長公の木像を拝観しておったら、お抹茶のサービスがございますので、こちらにお越しください。との声。流石に
一切の値引き無しで、茶の一杯も出さないのは、人としてどうよ。と気憑いてくれたらしい。
それで、一服しながら涼風に当たっておったら名古屋のアリスト乗りの某氏よりメールがあった。
お前、滋賀まで来てるんだってな。
ええ、まぁ。
どや、オフ会しねぇか?
いや、今は安土城を満喫している最中で。
じゃ、それが終わったら会おうぜ。
いや、安土城の考古博物館にも逝く予定で。
お前、俺様の誘いを断ろってのか、あん?
逝きます。
ってな顛末で急遽オフ会を催すこととなった。但し、オフ会開催まで少々時間があった故、早足で安土城天主 信長の館と、安土城考古学博物館を見て回った。大した写真が撮れてないので、リンク先を見ると良い。ただ一点、
お土産コーナーにあった、天下布武Tシャツを紹介しておく。これは恥ずかしい。
某氏との待ち合わせ場所を多賀大社と定め、移動しようとしたら、ふとでっち羊羹のことを思い出した。数年前、四国工場でのオフ会に参加した折、滋賀の81乗りの方よりお土産として、このでっち羊羹を頂き、相方に喰わせたところ非常に好評だったのである。
それで、彼方此方の銘菓と同じく数店舗が製造をしておるのだが、特に滋賀の81乗りの方お勧めの和た与をカーナビで検索したところ、5キロくらいしか離れておらんことが判明した。
これは逝くしかない。
時間も少し余裕があったので、和た与を経由することにした。3本入り1袋と、単品で1袋買った。
その後、再び多賀大社に進路を取った。10分くらい遅れて到着。ただ、某氏も遅れて到着するとメールがあった。さらに、ご指定の駐車場が何処か分からず、最寄りのセブンイレブンに駐車して待つことにした。
さて、諸君。
四国にはセブンイレブンが無い。故にまちのお菓子屋さんシリーズを買い求めることが出来ない。
そして、相方のお気に入りであるカリカリタブルチーズが眼前にあった。
お土産に最適と買い占めた。因みに同様の行為を大阪でもやらかしした。ところで、何処のセブンイレブンに逝っても、カリカリタブルチーズは品薄か在庫切れだったのだが、内地では人気なのであろうか。情報を求む。
寧ろ、誰か腐敗家に送れ。カネなら払う。
買い占めを終わらせて暫くすると、某氏がやって来た。挨拶を済ませると、某氏はセブンイレブンへと消えて逝った。どうも腹が減っておるらしい。
クリーム系のパスタを携えて戻ってきた某氏を改めて迎え、銀週間のオフ会時には余り観察出来なかったところを見て周り、某氏のこの3連休の微笑ましい失敗談を聞いた。
そして、折角多賀大社まで来たんだから、参拝をしようってことで神社の駐車場まで移動し、参拝を済ませた。参拝後、いよいよ銀号(勝手に命名)の試乗である。助手席にな。
ドノーマルの蒼い號に比べ、やはり乗り心地はハードそのもので、マフラー音も車内に伝わってくる。某氏がノーマル車もイイなぁーって言うのも分かる。明らかにセッティングは違うが、こんな方向もアリである。というか、2JZのがさつな低音を掻き消すには、マフラー音が有効だと改めて思った。マフラーの交換か。
また出費が嵩む。
神社の駐車場に戻ると、GS460が止まっておったので、GS460オーナー不在のまま歴代オフ会へと雪崩れ込んだ。やっぱり、一番イイのは初代であるな。
こうやって3台現車を並べるのは初めてであったが、初代から3代目へとモデルチェンジするのが自然に見える。2代目はちょっと違うクルマな気がする。片やプロジェクターランプ、片や丸目4灯なので、この辺が違和感を覚えさせる原因かと思われる。
並べて間もなくして、GS460オーナーが戻ってきたが、歴代が揃っているのに気も止めず、そのまま走り去って逝った。
これが一般的なリアクションである。変態と思われない為にもこのリアクションは覚えておくと良い。
時間的に、そろそろ限界になってきたので、名残惜しみつつ散会となった。今度こそ鼻から出るくらいうどんを喰わせることを誓って。
彦根ICより名神高速を下って逝っておったら、渋滞に巻き込まれた。やはりこの時間は都心方向へ混むらしい。しかも京都・大阪・神戸という大都会への道なので、混みかたが半端ではない。
彦根ICから最初の1時間は20キロしか進まなんだ。
どうせ混んでるし、そろそろ燃料が怪しくなってきたので、多賀SAにて給油したが、リッター140円ってどうよ。
多賀SAを出ると、ますます渋滞は酷くなり、大阪での密会は中止と相成った。折角でっち羊羹買ったのに。
その後は、当日ケータイよりリアルタイムでお伝えした通りである。
では、最後に今回の燃費に憑いて。
今回の総合燃費。大阪市内でウロチョロしたり、復路の渋滞と淡路島での爆走を考慮しても、この燃費は破格に良いというか、とても3リットルターボ車とは思えない。
多賀SAにて給油後、自宅までの距離と燃費である。あんだけの渋滞と爆走で大台に乗っておるのは賞賛に値する。
吹田SAより自宅までの所要時間である。爆走効果を遺憾なく発揮しておる。徳島から自宅まですら、平均速度がぬわわを越えておったしな。
てなワケで、大変充実したドライブであった。年齢的にも独りでこなすにはこのくらいの距離が限度であろう。寧ろ、今回の経験を通じて、
東京まで逝かなくって良かったと痛感したのである。
翌12日、8時過ぎに目覚め、身支度を調え、9時過ぎにはホテルを出発した。目指すはモニカ信長の居城であった安土城である。大阪より100キロほど走らせると到着した。なんだ、思ったより近いじゃねえか。
無事に到着。だーれも居ないと予想し、例の貧乏性を発揮して、ゆっくり見学しようとしたらこの混雑であった。しかも、駐車料金として500円を徴収された。
さらに拝観料が500円。政治的陰謀である。また、モニカ信長公の像を特別公開しておるらしく、これも見学しようとしたら、もう500円徴収された。しかも、漏れなく憑いてくる抹茶とお菓子は品切れで、サービスが振る舞われないにも関わらず、500円より値引きは無かった。これも摠見寺に依る政治的陰謀である。
気を取り直して入城。大手道を登っていく。この写真の左に羽柴秀吉、右に前田利家の屋敷があった。尚、階段は急峻そのもので、まったく人間工学に則っていない作りになっておる。お年寄りや、足腰の弱い諸君は逝かないほうが良い。とはいえ、敵より攻め込まれにくいように設計しておるのだから仕方ない。
暫く登って逝くと摠見寺がある。しかしこれは最後に見学することにして、一路天主台を目指して逝った。
天主台に至る途中、モニカ信長公の霊廟があった。但し中には入れぬし、墓そのものは木漏れ日などの影響でどうしてもキレイに撮れぬ故、入り口の瓦にあった桔梗の紋、即ち織田家の家紋のみを掲載する。
本丸跡を越えて、ようやく天主台に到着。この写真は丁度基礎の部分に該当する。地下1階部分でもある。不親切が旨なので詳しくはググれ。
天主台からの眺めを満喫し、ついでに涼んでから復路に憑く。順路を逝くと旧摠見寺があった。写真はその山門である。現在の場所にある摠見寺は後年移転したもので、安土城が築城された当時は旧の側にあった。
順路を下り、ようやく摠見寺に到着。モニカ信長公の木像を拝観しておったら、お抹茶のサービスがございますので、こちらにお越しください。との声。流石に
一切の値引き無しで、茶の一杯も出さないのは、人としてどうよ。と気憑いてくれたらしい。
それで、一服しながら涼風に当たっておったら名古屋のアリスト乗りの某氏よりメールがあった。
お前、滋賀まで来てるんだってな。
ええ、まぁ。
どや、オフ会しねぇか?
いや、今は安土城を満喫している最中で。
じゃ、それが終わったら会おうぜ。
いや、安土城の考古博物館にも逝く予定で。
お前、俺様の誘いを断ろってのか、あん?
逝きます。
ってな顛末で急遽オフ会を催すこととなった。但し、オフ会開催まで少々時間があった故、早足で安土城天主 信長の館と、安土城考古学博物館を見て回った。大した写真が撮れてないので、リンク先を見ると良い。ただ一点、
お土産コーナーにあった、天下布武Tシャツを紹介しておく。これは恥ずかしい。
某氏との待ち合わせ場所を多賀大社と定め、移動しようとしたら、ふとでっち羊羹のことを思い出した。数年前、四国工場でのオフ会に参加した折、滋賀の81乗りの方よりお土産として、このでっち羊羹を頂き、相方に喰わせたところ非常に好評だったのである。
それで、彼方此方の銘菓と同じく数店舗が製造をしておるのだが、特に滋賀の81乗りの方お勧めの和た与をカーナビで検索したところ、5キロくらいしか離れておらんことが判明した。
これは逝くしかない。
時間も少し余裕があったので、和た与を経由することにした。3本入り1袋と、単品で1袋買った。
その後、再び多賀大社に進路を取った。10分くらい遅れて到着。ただ、某氏も遅れて到着するとメールがあった。さらに、ご指定の駐車場が何処か分からず、最寄りのセブンイレブンに駐車して待つことにした。
さて、諸君。
四国にはセブンイレブンが無い。故にまちのお菓子屋さんシリーズを買い求めることが出来ない。
そして、相方のお気に入りであるカリカリタブルチーズが眼前にあった。
お土産に最適と買い占めた。因みに同様の行為を大阪でもやらかしした。ところで、何処のセブンイレブンに逝っても、カリカリタブルチーズは品薄か在庫切れだったのだが、内地では人気なのであろうか。情報を求む。
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買い占めを終わらせて暫くすると、某氏がやって来た。挨拶を済ませると、某氏はセブンイレブンへと消えて逝った。どうも腹が減っておるらしい。
クリーム系のパスタを携えて戻ってきた某氏を改めて迎え、銀週間のオフ会時には余り観察出来なかったところを見て周り、某氏のこの3連休の微笑ましい失敗談を聞いた。
そして、折角多賀大社まで来たんだから、参拝をしようってことで神社の駐車場まで移動し、参拝を済ませた。参拝後、いよいよ銀号(勝手に命名)の試乗である。助手席にな。
ドノーマルの蒼い號に比べ、やはり乗り心地はハードそのもので、マフラー音も車内に伝わってくる。某氏がノーマル車もイイなぁーって言うのも分かる。明らかにセッティングは違うが、こんな方向もアリである。というか、2JZのがさつな低音を掻き消すには、マフラー音が有効だと改めて思った。マフラーの交換か。
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どうせ混んでるし、そろそろ燃料が怪しくなってきたので、多賀SAにて給油したが、リッター140円ってどうよ。
多賀SAを出ると、ますます渋滞は酷くなり、大阪での密会は中止と相成った。折角でっち羊羹買ったのに。
その後は、当日ケータイよりリアルタイムでお伝えした通りである。
では、最後に今回の燃費に憑いて。
今回の総合燃費。大阪市内でウロチョロしたり、復路の渋滞と淡路島での爆走を考慮しても、この燃費は破格に良いというか、とても3リットルターボ車とは思えない。
多賀SAにて給油後、自宅までの距離と燃費である。あんだけの渋滞と爆走で大台に乗っておるのは賞賛に値する。
吹田SAより自宅までの所要時間である。爆走効果を遺憾なく発揮しておる。徳島から自宅まですら、平均速度がぬわわを越えておったしな。
てなワケで、大変充実したドライブであった。年齢的にも独りでこなすにはこのくらいの距離が限度であろう。寧ろ、今回の経験を通じて、
東京まで逝かなくって良かったと痛感したのである。
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今まで仕事してた(挨拶
とはいえ、これにてひとつ片憑いた故、明日から放浪の旅に出発の予定。ただ如何せん、
目的地を決めておらんがな。
とはいえ、これにてひとつ片憑いた故、明日から放浪の旅に出発の予定。ただ如何せん、
目的地を決めておらんがな。
↑コマ送り風味で挨拶
ぽりさんの話である。まったく此処暫く、ぽりさんにとっても(肉体面)、飼い主にとっても(金銭面)厄災が続いておる。
先日来、顔面神経痛に冒されたり、エリープスと呼称される良性の腫瘍が口内に出来たり、何かと動物病院のお世話になっておるのである。あのな、いっくら飼い主が女医さんに会いたがっておるとはいえ、
こんなことで、何万も注ぎ込ますな(正確には貢がすな)。
それで、エリープスが良性と判明し、取り敢えず安心しておった矢先。彼の腫瘍の存在を知って以来、再発しておっては大変と、定期的に口内を隈無く見ておったら、全く別の箇所にヘンな腫れ物が出来ておった。犬の口内も人間と同様、左右対称に出来上がっておる都合上、それが異物であることは、素人たる腐敗でも一発で検知出来たのである。
非常に重苦しい空気が漂った。というのも、口内にて発生する腫瘍は悪性である確率が高いといった記事を雑誌で読んだことがあったからである。
今度こそ、どえらい手術(正確にはどえらい出費)を強いられるのか。
それでも、このまま放置しておったら、例え良性でも喉を詰まらせ、飯が喰えないどころか、窒息するほど巨大化する公算すら予見出来た故、いつもの御殿医の元に向かった。因みにその日も女医さんは非番であった。
早速、所見させると御殿医はいつもより口少なであった。直感した。これはひょっとしてガチで残念かも知れぬ。とはいえ、この所見のみでは良悪の見立ては難しいとのことだった。さらに御殿医は続けた。
当院ではCTが無いので、CTのある病院で癌を専門にやっている医者をご紹介いたします。
犬でもCTを撮るのか。腐敗ですらやったことないぞ。
既に銀週間を目前に控え、本格的な治療は何時になるか分からないが、ともあれ紹介状を彼の医者に寄越す便宜を図らせ、連休の前日、癌専門医の元に向かった。
随分、でかい病院であった。流石癌専門。などと感心しつつ入り口を潜ると、御殿医のところとは別世界だった。人間の病院に例えて言うなら、御殿医は町医者で、癌専門医は大学病院。奥の部屋では手術をやっておるようで、心電図とか脈を計測する機器がチカチカしておった。なんでも急患らしい。急かしても仕方ない故、受付を済ませ、暫く待つことにした。
半時間ほど経過したであろうか。ようやく呼び出され、診察室に入ると、頼りなさそうな医者がニコニコしておった。此奴が癌専門医なのか。何ともガッカリさせやがる風貌。どっちかといえばパン屋のようではないか。
それで名札を見た。癌専門医(院長)ではなかった。ま、ま、良い。どうせ今日はCTの予約だけだ。と思い、どんな段取りになるか耳を澄ませておったら、
今日はどうされましたか?
おいちょっと待て。どうされたもこうされたもあるか。受付で要件を伝えたのに、君は何も聞いておらんのか。
あ、申し訳ございません。
もう良い。もう一度言う。だがその前に御殿医からの紹介状を君は読んでいないのかね。
!
パン屋は慌てた顔をして姿を消した。
それから、待てども待てども、姿を現さぬ。と、思いきや、奥の部屋でパン屋とその他の看護師が、わー、きゃー言いながら、紹介状を探す姿を確認した。
それから再び半時間ほど経過。
痺れを切らした腐敗は、診察室を出て受付の看護師にもう帰る。但し御殿医に紹介したもらった関係上、もう来ないことはないが、今日のところは出直す。とドスを効かせて吐いたのである。さらに、
タダでさえ、ガチで残念な病気かも知れぬとナーバスになっておるのに、お前らは一体何をやっておるのか。
↑これも言いそうになったが、流石に呑み込んだ。
受付の看護師は蒼白になって姿を消した。それから直ぐに女医(美人)と格上らしき看護師がやって来た。
本当に申し訳ございません。院長が此処数日出張のままなので。本当に申し訳ございません。
分かった。もう暫く待つ。それでも出なければ・・・
続けようとしたら、奥から別の看護師がやって来た。紹介する旨を綴ったメールを発見した模様だった。それを一読した女医(美人)は、もう少々お待ちください。と告げ、奥の部屋に吸い込まれるように消えて逝った。
パン屋が待つ診察室に戻る気が無かった腐敗は、待合室にて腰を据えた。少し経って女医(別の美人)がやって来た。この段になって、診察室にお越しください。などと空気読めてない言は無かった。女医(別の美人)は深々と頭を下げた。腐敗も大人げなかったと気憑いた。間違っても美人だから許したのではない。とはいえ、今後何かと有利に事を運ぶために謝りはしなかった。
それからは良い調子で話が進み、CTを撮る日取りやら、様々な注意点やリスクの説明を受けた。先日も御殿医のところで麻酔を受けたのに、此処まで懇切丁寧な説明はなかったし、麻酔をかける前に麻酔に耐性があるかの検査までするようである。流石癌専門。
流石美人。
とはいえ、逆に考えれば、この病院では、かつて麻酔で事故をやらかしたかも知れぬ。誤解を与えては残念故、珍しく丁寧に解説しておくと、女医(別の美人)が言うには、検査の結果、麻酔に耐性があると診断しても、10000頭に1頭の割合で、ショック死する公算があり、これがリスクとのこと。この病院では、10000頭に1頭の悲劇が起こったのかも知れぬ。それで、此処まで入念に説明しておるのかも知れぬ。
しかし、全身麻酔が出来なければ、手術どころかCTの撮影すら出来ぬので、リスクは承知で女医(別の美人)の説明に同意した。CTの撮影と、病理検査用のサンプル抽出は連休明けと相成った。これらを基に腫瘍の良悪を診断し、何処まで切除するのか、或いは放置か、さらに放射線治療か、抗ガン剤を投与するのか、あらゆる対策が検討される。もう人間顔負けである。
後半に続く(キートン山田風に)。
先日、こだまに憑いて記したが、記して間もなく、東の横綱(ドルジとかじゃない)より、こだまに関するメールが届いた。
噴いた。
まさか御大がこの腐日記を見ておるとは、予想だにしておらんかったからである(長めの挨拶
この写真は、1964年に撮影されたに間違いない。こだまのスカート(裾のグレー部分)に切り欠きが入り、ジャンパ栓が追加されておるからである。
これは、新幹線の開業に合わせて、東京-大阪を走っておったこの電車が、新大阪-博多に転用されることになったが故の処置だった。
門司-博多は交流電化されておる故、直流専用のこの電車は当然自走出来ず、かといって交直両用に改造するにも、費用が莫大な上、時間も押しておった。
従い、改造するくらいなら、新しく交直両用の電車を作るほうが、安く、しかも電車の数自体が増えるって結論に至り、新しい電車が完成するまで、こだま型電車は交流専用の電気機関車で引っ張ってもらい、博多まで走ることになった。この改造は交流の電気機関車とコラボするための改造なのである。
これを理解するには隣に留置されておるときを見ると良い。無粋な改造を受けておらんからサッパリしておるではないか。雪国仕様故、スノープロウが物々しいがな。
さて、1964年といえば、今を去ること55年前になる。デジカメなんぞ当然無く、フィルムカメラ全盛(というかそれしか無い)の時代である。そして、カラーフィルムといえばポジフィルムを指しておった。ネガカラーも存在したが、品質が悪く、ポジ以上に高価でお気楽に使える代物ではなかった。
この写真もポジに違いない。しかもコダクロームに違いない。もしかしたら、最寄りの現像所はハワイって時代だったかも知れない。
また、当時のカラーフィルムの感度は、ISO10が主流だった。
ISO100じゃねぇぞ。
こんな状態だったから、ISO25なら高感度と言われておった。因みにモノクロフィルムは、ISO50が標準的で、ISO200ともなれば超高感度と言われておった。
話を戻すが、コダクロームは増感出来ない故、この写真もISO10で撮影されたとほぼ確信する。走行しておる電車をキッチリ静止させるには、真夏のピーカンで無ければ不可能に近かった。それ故に、この時代のカラー写真はこのような停車した電車が圧倒的に多い。
そりゃ高価だったから無駄打ちしたくないわな。
恐らくこの写真は、当時の条件下では最高の出来であろう。これだけシャープで、奥までしっかりピントが合っておるからである。
とはいえ、何分古い写真で、しかもポスターからスキャンした代物だから、フィルム特有の粒子とか、印刷ドットが目立つのだが、気にしない気にしない。
とまぁ、こだまやら写真やら、腐敗の無駄な知識を披露したところで、今日の腐日記を締め括るとする。
晩秋という時期とあって随分と涼しくなりましたが、皆様におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。まだ晩秋ではありませんが。つまり先回りでありますが(挨拶
さて、彼の腐れカーナビに代わって導入しようとしたのが、1世代新しいブツで、本来であればAVN668HDと名乗るはずが、何故かAVN668HDSと、見たこともなけりゃ、聞いたこともない型番でありました。
少しばかり調べてみると、どうやらスバル純正であることが判明いたしました。SとはSUBARUのSのようでありました。
とはいえ、オークションに於いてはこの怪しさが災いし、誰も食指を伸ばすことなく、忘れ去られたように放置されておりました。しかし純正こそ我が逝く道。と自称している腐敗が、しかもスバルのクルマに装着するに当たり、こんな面白いブツを見逃すはずがありません。てなワケで早々に入札し、お陰様でAVN668HDより随分安値で落札したのであります。
オープニング画面は↑このような感じです。
しかしながら、違いはこれだけではありませんでした。スバル車にはポン憑け出来るよう、背面のコネクタ類の形状も変わっておったのであります。タダでさえ手狭な空間に、変換ケーブルなどを無理矢理押し込んでおったので、これは大変ありがたい措置でした。背面は随分とスッキリし、熱問題にも幾らか寄与できるものと確信をしております。
因みに、工賃を惜しんで自らのスキルアップを謀ろうと、初めてカーナビの装着に挑戦いたしました。結論から言えば、軽故だったに違いありませんが、大して難しくはありませんでした。
寧ろ問題は、トヨタ純正ETCとの連動でしたが、事前に綿密な調査をしておったのが功を奏し、こちらも無事に動作することを確認いたしました。とはいえ、初めて
ETCのゲートを潜るのは緊張しましたが。
そして、気になるカーナビ自体の動作でありますが、これについても全く問題ございません。片やプロが装着し、片やズブの素人が装着したにも関わらずであります。
イクリプスのナビの操作性に惚れておるので、お前らの製品なんか二度と使うか、ヴォケ。などと、大人げない発言は控える予定でありますが、近日中、ディーラー及びドグサレ富士通テンに対し、ささやかながら
嫌味と嫌がらせを実行する所存であります。
どうか皆様のご支持とご支援をこの腐敗に寄せていただきますことを心から祈念して、晩秋(先回り)の挨拶に代えさせていただきます。
さて、彼の腐れカーナビに代わって導入しようとしたのが、1世代新しいブツで、本来であればAVN668HDと名乗るはずが、何故かAVN668HDSと、見たこともなけりゃ、聞いたこともない型番でありました。
Sってなんだよ、Sって。
少しばかり調べてみると、どうやらスバル純正であることが判明いたしました。SとはSUBARUのSのようでありました。
とはいえ、オークションに於いてはこの怪しさが災いし、誰も食指を伸ばすことなく、忘れ去られたように放置されておりました。しかし純正こそ我が逝く道。と自称している腐敗が、しかもスバルのクルマに装着するに当たり、こんな面白いブツを見逃すはずがありません。てなワケで早々に入札し、お陰様でAVN668HDより随分安値で落札したのであります。
オープニング画面は↑このような感じです。
しかしながら、違いはこれだけではありませんでした。スバル車にはポン憑け出来るよう、背面のコネクタ類の形状も変わっておったのであります。タダでさえ手狭な空間に、変換ケーブルなどを無理矢理押し込んでおったので、これは大変ありがたい措置でした。背面は随分とスッキリし、熱問題にも幾らか寄与できるものと確信をしております。
因みに、工賃を惜しんで自らのスキルアップを謀ろうと、初めてカーナビの装着に挑戦いたしました。結論から言えば、軽故だったに違いありませんが、大して難しくはありませんでした。
寧ろ問題は、トヨタ純正ETCとの連動でしたが、事前に綿密な調査をしておったのが功を奏し、こちらも無事に動作することを確認いたしました。とはいえ、初めて
ETCのゲートを潜るのは緊張しましたが。
そして、気になるカーナビ自体の動作でありますが、これについても全く問題ございません。片やプロが装着し、片やズブの素人が装着したにも関わらずであります。
イクリプスのナビの操作性に惚れておるので、お前らの製品なんか二度と使うか、ヴォケ。などと、大人げない発言は控える予定でありますが、近日中、ディーラー及びドグサレ富士通テンに対し、ささやかながら
嫌味と嫌がらせを実行する所存であります。
どうか皆様のご支持とご支援をこの腐敗に寄せていただきますことを心から祈念して、晩秋(先回り)の挨拶に代えさせていただきます。