【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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目覚まし時計に起こされず、人間の本能のままに目覚めるって素晴らしいですね。お陰様で、体が言うことを聞くようになりました(挨拶
翌12日、8時過ぎに目覚め、身支度を調え、9時過ぎにはホテルを出発した。目指すはモニカ信長の居城であった安土城である。大阪より100キロほど走らせると到着した。なんだ、思ったより近いじゃねえか。
無事に到着。だーれも居ないと予想し、例の貧乏性を発揮して、ゆっくり見学しようとしたらこの混雑であった。しかも、駐車料金として500円を徴収された。
さらに拝観料が500円。政治的陰謀である。また、モニカ信長公の像を特別公開しておるらしく、これも見学しようとしたら、もう500円徴収された。しかも、漏れなく憑いてくる抹茶とお菓子は品切れで、サービスが振る舞われないにも関わらず、500円より値引きは無かった。これも摠見寺に依る政治的陰謀である。
気を取り直して入城。大手道を登っていく。この写真の左に羽柴秀吉、右に前田利家の屋敷があった。尚、階段は急峻そのもので、まったく人間工学に則っていない作りになっておる。お年寄りや、足腰の弱い諸君は逝かないほうが良い。とはいえ、敵より攻め込まれにくいように設計しておるのだから仕方ない。
暫く登って逝くと摠見寺がある。しかしこれは最後に見学することにして、一路天主台を目指して逝った。
天主台に至る途中、モニカ信長公の霊廟があった。但し中には入れぬし、墓そのものは木漏れ日などの影響でどうしてもキレイに撮れぬ故、入り口の瓦にあった桔梗の紋、即ち織田家の家紋のみを掲載する。
本丸跡を越えて、ようやく天主台に到着。この写真は丁度基礎の部分に該当する。地下1階部分でもある。不親切が旨なので詳しくはググれ。
天主台からの眺めを満喫し、ついでに涼んでから復路に憑く。順路を逝くと旧摠見寺があった。写真はその山門である。現在の場所にある摠見寺は後年移転したもので、安土城が築城された当時は旧の側にあった。
順路を下り、ようやく摠見寺に到着。モニカ信長公の木像を拝観しておったら、お抹茶のサービスがございますので、こちらにお越しください。との声。流石に
一切の値引き無しで、茶の一杯も出さないのは、人としてどうよ。と気憑いてくれたらしい。
それで、一服しながら涼風に当たっておったら名古屋のアリスト乗りの某氏よりメールがあった。
お前、滋賀まで来てるんだってな。
ええ、まぁ。
どや、オフ会しねぇか?
いや、今は安土城を満喫している最中で。
じゃ、それが終わったら会おうぜ。
いや、安土城の考古博物館にも逝く予定で。
お前、俺様の誘いを断ろってのか、あん?
逝きます。
ってな顛末で急遽オフ会を催すこととなった。但し、オフ会開催まで少々時間があった故、早足で安土城天主 信長の館と、安土城考古学博物館を見て回った。大した写真が撮れてないので、リンク先を見ると良い。ただ一点、
お土産コーナーにあった、天下布武Tシャツを紹介しておく。これは恥ずかしい。
某氏との待ち合わせ場所を多賀大社と定め、移動しようとしたら、ふとでっち羊羹のことを思い出した。数年前、四国工場でのオフ会に参加した折、滋賀の81乗りの方よりお土産として、このでっち羊羹を頂き、相方に喰わせたところ非常に好評だったのである。
それで、彼方此方の銘菓と同じく数店舗が製造をしておるのだが、特に滋賀の81乗りの方お勧めの和た与をカーナビで検索したところ、5キロくらいしか離れておらんことが判明した。
これは逝くしかない。
時間も少し余裕があったので、和た与を経由することにした。3本入り1袋と、単品で1袋買った。
その後、再び多賀大社に進路を取った。10分くらい遅れて到着。ただ、某氏も遅れて到着するとメールがあった。さらに、ご指定の駐車場が何処か分からず、最寄りのセブンイレブンに駐車して待つことにした。
さて、諸君。
四国にはセブンイレブンが無い。故にまちのお菓子屋さんシリーズを買い求めることが出来ない。
そして、相方のお気に入りであるカリカリタブルチーズが眼前にあった。
お土産に最適と買い占めた。因みに同様の行為を大阪でもやらかしした。ところで、何処のセブンイレブンに逝っても、カリカリタブルチーズは品薄か在庫切れだったのだが、内地では人気なのであろうか。情報を求む。
寧ろ、誰か腐敗家に送れ。カネなら払う。
買い占めを終わらせて暫くすると、某氏がやって来た。挨拶を済ませると、某氏はセブンイレブンへと消えて逝った。どうも腹が減っておるらしい。
クリーム系のパスタを携えて戻ってきた某氏を改めて迎え、銀週間のオフ会時には余り観察出来なかったところを見て周り、某氏のこの3連休の微笑ましい失敗談を聞いた。
そして、折角多賀大社まで来たんだから、参拝をしようってことで神社の駐車場まで移動し、参拝を済ませた。参拝後、いよいよ銀号(勝手に命名)の試乗である。助手席にな。
ドノーマルの蒼い號に比べ、やはり乗り心地はハードそのもので、マフラー音も車内に伝わってくる。某氏がノーマル車もイイなぁーって言うのも分かる。明らかにセッティングは違うが、こんな方向もアリである。というか、2JZのがさつな低音を掻き消すには、マフラー音が有効だと改めて思った。マフラーの交換か。
また出費が嵩む。
神社の駐車場に戻ると、GS460が止まっておったので、GS460オーナー不在のまま歴代オフ会へと雪崩れ込んだ。やっぱり、一番イイのは初代であるな。
こうやって3台現車を並べるのは初めてであったが、初代から3代目へとモデルチェンジするのが自然に見える。2代目はちょっと違うクルマな気がする。片やプロジェクターランプ、片や丸目4灯なので、この辺が違和感を覚えさせる原因かと思われる。
並べて間もなくして、GS460オーナーが戻ってきたが、歴代が揃っているのに気も止めず、そのまま走り去って逝った。
これが一般的なリアクションである。変態と思われない為にもこのリアクションは覚えておくと良い。
時間的に、そろそろ限界になってきたので、名残惜しみつつ散会となった。今度こそ鼻から出るくらいうどんを喰わせることを誓って。
彦根ICより名神高速を下って逝っておったら、渋滞に巻き込まれた。やはりこの時間は都心方向へ混むらしい。しかも京都・大阪・神戸という大都会への道なので、混みかたが半端ではない。
彦根ICから最初の1時間は20キロしか進まなんだ。
どうせ混んでるし、そろそろ燃料が怪しくなってきたので、多賀SAにて給油したが、リッター140円ってどうよ。
多賀SAを出ると、ますます渋滞は酷くなり、大阪での密会は中止と相成った。折角でっち羊羹買ったのに。
その後は、当日ケータイよりリアルタイムでお伝えした通りである。
では、最後に今回の燃費に憑いて。
今回の総合燃費。大阪市内でウロチョロしたり、復路の渋滞と淡路島での爆走を考慮しても、この燃費は破格に良いというか、とても3リットルターボ車とは思えない。
多賀SAにて給油後、自宅までの距離と燃費である。あんだけの渋滞と爆走で大台に乗っておるのは賞賛に値する。
吹田SAより自宅までの所要時間である。爆走効果を遺憾なく発揮しておる。徳島から自宅まですら、平均速度がぬわわを越えておったしな。
てなワケで、大変充実したドライブであった。年齢的にも独りでこなすにはこのくらいの距離が限度であろう。寧ろ、今回の経験を通じて、
東京まで逝かなくって良かったと痛感したのである。
翌12日、8時過ぎに目覚め、身支度を調え、9時過ぎにはホテルを出発した。目指すはモニカ信長の居城であった安土城である。大阪より100キロほど走らせると到着した。なんだ、思ったより近いじゃねえか。
無事に到着。だーれも居ないと予想し、例の貧乏性を発揮して、ゆっくり見学しようとしたらこの混雑であった。しかも、駐車料金として500円を徴収された。
さらに拝観料が500円。政治的陰謀である。また、モニカ信長公の像を特別公開しておるらしく、これも見学しようとしたら、もう500円徴収された。しかも、漏れなく憑いてくる抹茶とお菓子は品切れで、サービスが振る舞われないにも関わらず、500円より値引きは無かった。これも摠見寺に依る政治的陰謀である。
気を取り直して入城。大手道を登っていく。この写真の左に羽柴秀吉、右に前田利家の屋敷があった。尚、階段は急峻そのもので、まったく人間工学に則っていない作りになっておる。お年寄りや、足腰の弱い諸君は逝かないほうが良い。とはいえ、敵より攻め込まれにくいように設計しておるのだから仕方ない。
暫く登って逝くと摠見寺がある。しかしこれは最後に見学することにして、一路天主台を目指して逝った。
天主台に至る途中、モニカ信長公の霊廟があった。但し中には入れぬし、墓そのものは木漏れ日などの影響でどうしてもキレイに撮れぬ故、入り口の瓦にあった桔梗の紋、即ち織田家の家紋のみを掲載する。
本丸跡を越えて、ようやく天主台に到着。この写真は丁度基礎の部分に該当する。地下1階部分でもある。不親切が旨なので詳しくはググれ。
天主台からの眺めを満喫し、ついでに涼んでから復路に憑く。順路を逝くと旧摠見寺があった。写真はその山門である。現在の場所にある摠見寺は後年移転したもので、安土城が築城された当時は旧の側にあった。
順路を下り、ようやく摠見寺に到着。モニカ信長公の木像を拝観しておったら、お抹茶のサービスがございますので、こちらにお越しください。との声。流石に
一切の値引き無しで、茶の一杯も出さないのは、人としてどうよ。と気憑いてくれたらしい。
それで、一服しながら涼風に当たっておったら名古屋のアリスト乗りの某氏よりメールがあった。
お前、滋賀まで来てるんだってな。
ええ、まぁ。
どや、オフ会しねぇか?
いや、今は安土城を満喫している最中で。
じゃ、それが終わったら会おうぜ。
いや、安土城の考古博物館にも逝く予定で。
お前、俺様の誘いを断ろってのか、あん?
逝きます。
ってな顛末で急遽オフ会を催すこととなった。但し、オフ会開催まで少々時間があった故、早足で安土城天主 信長の館と、安土城考古学博物館を見て回った。大した写真が撮れてないので、リンク先を見ると良い。ただ一点、
お土産コーナーにあった、天下布武Tシャツを紹介しておく。これは恥ずかしい。
某氏との待ち合わせ場所を多賀大社と定め、移動しようとしたら、ふとでっち羊羹のことを思い出した。数年前、四国工場でのオフ会に参加した折、滋賀の81乗りの方よりお土産として、このでっち羊羹を頂き、相方に喰わせたところ非常に好評だったのである。
それで、彼方此方の銘菓と同じく数店舗が製造をしておるのだが、特に滋賀の81乗りの方お勧めの和た与をカーナビで検索したところ、5キロくらいしか離れておらんことが判明した。
これは逝くしかない。
時間も少し余裕があったので、和た与を経由することにした。3本入り1袋と、単品で1袋買った。
その後、再び多賀大社に進路を取った。10分くらい遅れて到着。ただ、某氏も遅れて到着するとメールがあった。さらに、ご指定の駐車場が何処か分からず、最寄りのセブンイレブンに駐車して待つことにした。
さて、諸君。
四国にはセブンイレブンが無い。故にまちのお菓子屋さんシリーズを買い求めることが出来ない。
そして、相方のお気に入りであるカリカリタブルチーズが眼前にあった。
お土産に最適と買い占めた。因みに同様の行為を大阪でもやらかしした。ところで、何処のセブンイレブンに逝っても、カリカリタブルチーズは品薄か在庫切れだったのだが、内地では人気なのであろうか。情報を求む。
寧ろ、誰か腐敗家に送れ。カネなら払う。
買い占めを終わらせて暫くすると、某氏がやって来た。挨拶を済ませると、某氏はセブンイレブンへと消えて逝った。どうも腹が減っておるらしい。
クリーム系のパスタを携えて戻ってきた某氏を改めて迎え、銀週間のオフ会時には余り観察出来なかったところを見て周り、某氏のこの3連休の微笑ましい失敗談を聞いた。
そして、折角多賀大社まで来たんだから、参拝をしようってことで神社の駐車場まで移動し、参拝を済ませた。参拝後、いよいよ銀号(勝手に命名)の試乗である。助手席にな。
ドノーマルの蒼い號に比べ、やはり乗り心地はハードそのもので、マフラー音も車内に伝わってくる。某氏がノーマル車もイイなぁーって言うのも分かる。明らかにセッティングは違うが、こんな方向もアリである。というか、2JZのがさつな低音を掻き消すには、マフラー音が有効だと改めて思った。マフラーの交換か。
また出費が嵩む。
神社の駐車場に戻ると、GS460が止まっておったので、GS460オーナー不在のまま歴代オフ会へと雪崩れ込んだ。やっぱり、一番イイのは初代であるな。
こうやって3台現車を並べるのは初めてであったが、初代から3代目へとモデルチェンジするのが自然に見える。2代目はちょっと違うクルマな気がする。片やプロジェクターランプ、片や丸目4灯なので、この辺が違和感を覚えさせる原因かと思われる。
並べて間もなくして、GS460オーナーが戻ってきたが、歴代が揃っているのに気も止めず、そのまま走り去って逝った。
これが一般的なリアクションである。変態と思われない為にもこのリアクションは覚えておくと良い。
時間的に、そろそろ限界になってきたので、名残惜しみつつ散会となった。今度こそ鼻から出るくらいうどんを喰わせることを誓って。
彦根ICより名神高速を下って逝っておったら、渋滞に巻き込まれた。やはりこの時間は都心方向へ混むらしい。しかも京都・大阪・神戸という大都会への道なので、混みかたが半端ではない。
彦根ICから最初の1時間は20キロしか進まなんだ。
どうせ混んでるし、そろそろ燃料が怪しくなってきたので、多賀SAにて給油したが、リッター140円ってどうよ。
多賀SAを出ると、ますます渋滞は酷くなり、大阪での密会は中止と相成った。折角でっち羊羹買ったのに。
その後は、当日ケータイよりリアルタイムでお伝えした通りである。
では、最後に今回の燃費に憑いて。
今回の総合燃費。大阪市内でウロチョロしたり、復路の渋滞と淡路島での爆走を考慮しても、この燃費は破格に良いというか、とても3リットルターボ車とは思えない。
多賀SAにて給油後、自宅までの距離と燃費である。あんだけの渋滞と爆走で大台に乗っておるのは賞賛に値する。
吹田SAより自宅までの所要時間である。爆走効果を遺憾なく発揮しておる。徳島から自宅まですら、平均速度がぬわわを越えておったしな。
てなワケで、大変充実したドライブであった。年齢的にも独りでこなすにはこのくらいの距離が限度であろう。寧ろ、今回の経験を通じて、
東京まで逝かなくって良かったと痛感したのである。
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