【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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先日、こだまに憑いて記したが、記して間もなく、東の横綱(ドルジとかじゃない)より、こだまに関するメールが届いた。
噴いた。
まさか御大がこの腐日記を見ておるとは、予想だにしておらんかったからである(長めの挨拶
この写真は、1964年に撮影されたに間違いない。こだまのスカート(裾のグレー部分)に切り欠きが入り、ジャンパ栓が追加されておるからである。
これは、新幹線の開業に合わせて、東京-大阪を走っておったこの電車が、新大阪-博多に転用されることになったが故の処置だった。
門司-博多は交流電化されておる故、直流専用のこの電車は当然自走出来ず、かといって交直両用に改造するにも、費用が莫大な上、時間も押しておった。
従い、改造するくらいなら、新しく交直両用の電車を作るほうが、安く、しかも電車の数自体が増えるって結論に至り、新しい電車が完成するまで、こだま型電車は交流専用の電気機関車で引っ張ってもらい、博多まで走ることになった。この改造は交流の電気機関車とコラボするための改造なのである。
これを理解するには隣に留置されておるときを見ると良い。無粋な改造を受けておらんからサッパリしておるではないか。雪国仕様故、スノープロウが物々しいがな。
さて、1964年といえば、今を去ること55年前になる。デジカメなんぞ当然無く、フィルムカメラ全盛(というかそれしか無い)の時代である。そして、カラーフィルムといえばポジフィルムを指しておった。ネガカラーも存在したが、品質が悪く、ポジ以上に高価でお気楽に使える代物ではなかった。
この写真もポジに違いない。しかもコダクロームに違いない。もしかしたら、最寄りの現像所はハワイって時代だったかも知れない。
また、当時のカラーフィルムの感度は、ISO10が主流だった。
ISO100じゃねぇぞ。
こんな状態だったから、ISO25なら高感度と言われておった。因みにモノクロフィルムは、ISO50が標準的で、ISO200ともなれば超高感度と言われておった。
話を戻すが、コダクロームは増感出来ない故、この写真もISO10で撮影されたとほぼ確信する。走行しておる電車をキッチリ静止させるには、真夏のピーカンで無ければ不可能に近かった。それ故に、この時代のカラー写真はこのような停車した電車が圧倒的に多い。
そりゃ高価だったから無駄打ちしたくないわな。
恐らくこの写真は、当時の条件下では最高の出来であろう。これだけシャープで、奥までしっかりピントが合っておるからである。
とはいえ、何分古い写真で、しかもポスターからスキャンした代物だから、フィルム特有の粒子とか、印刷ドットが目立つのだが、気にしない気にしない。
とまぁ、こだまやら写真やら、腐敗の無駄な知識を披露したところで、今日の腐日記を締め括るとする。
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