【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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クリックしやがった(挨拶
会社で使用するブツであるが、こんなモノを経費で支払うワケには逝かぬので身銭を切ってみた。
これさえあれば、ボールを掃除する苦労から解放される。これだけでも身銭を切る価値は十分にある。また、ケーブルの取り回しに配慮する必要もなくなる。気になるのはバッテリーの寿命であるが、これも時代の流れ故、多少のことなら勘弁してやる。
ブツは、1週間もあれば手元に届くようである。届き次第、インプレでもしてみる。多分。
嗚呼、愉しみ。
会社で使用するブツであるが、こんなモノを経費で支払うワケには逝かぬので身銭を切ってみた。
これさえあれば、ボールを掃除する苦労から解放される。これだけでも身銭を切る価値は十分にある。また、ケーブルの取り回しに配慮する必要もなくなる。気になるのはバッテリーの寿命であるが、これも時代の流れ故、多少のことなら勘弁してやる。
ブツは、1週間もあれば手元に届くようである。届き次第、インプレでもしてみる。多分。
嗚呼、愉しみ。
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まばりっぱっぱ〜っりっぱりっぱり〜 ぱりりりびりびりすてんれんだんどぅ〜(古めの挨拶
今朝からシナリオの修正をしてたり、動画の合成作業に挑んでおったら、酵素の少ない後輩がFCPの使い方に憑いてレクチャーを求めてきた。以前に教えておったはずである。腐敗の指導方法に誤りがあるのかと思いきや、暫く使う機会を逸しておったから
使い方を忘れたらしい。
とまぁ、このような微笑ましい出来事の最中、客より連絡が有り、次回のロケはこの週末と相成った。また2週連続出勤か。酵素の少ない後輩のように何もかも忘れてしまいたい。
というワケで今宵は深酒をし、不貞寝。
今朝からシナリオの修正をしてたり、動画の合成作業に挑んでおったら、酵素の少ない後輩がFCPの使い方に憑いてレクチャーを求めてきた。以前に教えておったはずである。腐敗の指導方法に誤りがあるのかと思いきや、暫く使う機会を逸しておったから
使い方を忘れたらしい。
とまぁ、このような微笑ましい出来事の最中、客より連絡が有り、次回のロケはこの週末と相成った。また2週連続出勤か。酵素の少ない後輩のように何もかも忘れてしまいたい。
というワケで今宵は深酒をし、不貞寝。
前編の続き(挨拶
翌朝、ぽりさんを病院に預けた。全身麻酔をして後、CTにて撮影をするのである。因みにその日はまったく仕事に手が憑かなかった。
夕刻、ぽりさんの引き取りに逝き、そのまま癌専門医の説明を受けた。
CTにて撮影したぽりさんの断面図。獅子舞の獅子ではない。この画像をクリックすると、腫瘍の部分を赤○で囲った図にリンクする。上顎の左にフニって出っ張っておるのが腫瘍である。
良性か悪性かは病理検査を待たねばならないと聞いておったが、流石は癌専門医。この画像だけで良性と判断しやがった。さらに癌専門医は続けた。
脳も腫瘍に冒されていないようですし、この際だから取っちゃいました。
本来なら、
一部の組織のみを摘出
↓
病理検査
↓
良悪の判断
↓
摘出するかどうか判断
↓
摘出
って、ロードマップだと聞いておったのに、一足飛びに摘出までしたというのである。まぁ、どうせ摘出することになるだろうから、麻酔が一度で済む今回の処置は適当だと思うがな。
こうして、一通りの説明を聞いた後、ぽりさんと再会。
ちょっと、あんた、何処逝っとったん!
酷い目に遭ったんで、ワシ!
って勢いで飛び掛かられた。滅多にダイブしてこないのに(というかそういう訓練を施しているのに)、ドカっと。
余程、恐ろしい目に遭ったのか。美人の女医=優しい。とでも思っておって、すっかり騙されたのかお前は。
それから1週間後、今度は病理検査の結果を聞きに逝った。
やはり良性で、今のところ再発の危険性は低く、先日の摘出では、ヤヴァイ箇所をレーザーでジュージュー焼いたので、腫瘍の細胞が残っておる可能性も低いとのこと。つまり、ほぼ完治と思って良いらしい。とはいえ念のため、月に一度は掛かり憑け医に見てもらえと告げられた。
先ずは一安心。
こうして、恐ろしい癌疑惑から解放されたのだが、次なる恐怖が腐敗を襲ったのである。
恐怖の理由は、↑の画像をクリックのこと。
翌朝、ぽりさんを病院に預けた。全身麻酔をして後、CTにて撮影をするのである。因みにその日はまったく仕事に手が憑かなかった。
夕刻、ぽりさんの引き取りに逝き、そのまま癌専門医の説明を受けた。
CTにて撮影したぽりさんの断面図。獅子舞の獅子ではない。この画像をクリックすると、腫瘍の部分を赤○で囲った図にリンクする。上顎の左にフニって出っ張っておるのが腫瘍である。
良性か悪性かは病理検査を待たねばならないと聞いておったが、流石は癌専門医。この画像だけで良性と判断しやがった。さらに癌専門医は続けた。
脳も腫瘍に冒されていないようですし、この際だから取っちゃいました。
本来なら、
一部の組織のみを摘出
↓
病理検査
↓
良悪の判断
↓
摘出するかどうか判断
↓
摘出
って、ロードマップだと聞いておったのに、一足飛びに摘出までしたというのである。まぁ、どうせ摘出することになるだろうから、麻酔が一度で済む今回の処置は適当だと思うがな。
こうして、一通りの説明を聞いた後、ぽりさんと再会。
ちょっと、あんた、何処逝っとったん!
酷い目に遭ったんで、ワシ!
って勢いで飛び掛かられた。滅多にダイブしてこないのに(というかそういう訓練を施しているのに)、ドカっと。
余程、恐ろしい目に遭ったのか。美人の女医=優しい。とでも思っておって、すっかり騙されたのかお前は。
それから1週間後、今度は病理検査の結果を聞きに逝った。
やはり良性で、今のところ再発の危険性は低く、先日の摘出では、ヤヴァイ箇所をレーザーでジュージュー焼いたので、腫瘍の細胞が残っておる可能性も低いとのこと。つまり、ほぼ完治と思って良いらしい。とはいえ念のため、月に一度は掛かり憑け医に見てもらえと告げられた。
先ずは一安心。
こうして、恐ろしい癌疑惑から解放されたのだが、次なる恐怖が腐敗を襲ったのである。
恐怖の理由は、↑の画像をクリックのこと。
目覚まし時計に起こされず、人間の本能のままに目覚めるって素晴らしいですね。お陰様で、体が言うことを聞くようになりました(挨拶
翌12日、8時過ぎに目覚め、身支度を調え、9時過ぎにはホテルを出発した。目指すはモニカ信長の居城であった安土城である。大阪より100キロほど走らせると到着した。なんだ、思ったより近いじゃねえか。
無事に到着。だーれも居ないと予想し、例の貧乏性を発揮して、ゆっくり見学しようとしたらこの混雑であった。しかも、駐車料金として500円を徴収された。
さらに拝観料が500円。政治的陰謀である。また、モニカ信長公の像を特別公開しておるらしく、これも見学しようとしたら、もう500円徴収された。しかも、漏れなく憑いてくる抹茶とお菓子は品切れで、サービスが振る舞われないにも関わらず、500円より値引きは無かった。これも摠見寺に依る政治的陰謀である。
気を取り直して入城。大手道を登っていく。この写真の左に羽柴秀吉、右に前田利家の屋敷があった。尚、階段は急峻そのもので、まったく人間工学に則っていない作りになっておる。お年寄りや、足腰の弱い諸君は逝かないほうが良い。とはいえ、敵より攻め込まれにくいように設計しておるのだから仕方ない。
暫く登って逝くと摠見寺がある。しかしこれは最後に見学することにして、一路天主台を目指して逝った。
天主台に至る途中、モニカ信長公の霊廟があった。但し中には入れぬし、墓そのものは木漏れ日などの影響でどうしてもキレイに撮れぬ故、入り口の瓦にあった桔梗の紋、即ち織田家の家紋のみを掲載する。
本丸跡を越えて、ようやく天主台に到着。この写真は丁度基礎の部分に該当する。地下1階部分でもある。不親切が旨なので詳しくはググれ。
天主台からの眺めを満喫し、ついでに涼んでから復路に憑く。順路を逝くと旧摠見寺があった。写真はその山門である。現在の場所にある摠見寺は後年移転したもので、安土城が築城された当時は旧の側にあった。
順路を下り、ようやく摠見寺に到着。モニカ信長公の木像を拝観しておったら、お抹茶のサービスがございますので、こちらにお越しください。との声。流石に
一切の値引き無しで、茶の一杯も出さないのは、人としてどうよ。と気憑いてくれたらしい。
それで、一服しながら涼風に当たっておったら名古屋のアリスト乗りの某氏よりメールがあった。
お前、滋賀まで来てるんだってな。
ええ、まぁ。
どや、オフ会しねぇか?
いや、今は安土城を満喫している最中で。
じゃ、それが終わったら会おうぜ。
いや、安土城の考古博物館にも逝く予定で。
お前、俺様の誘いを断ろってのか、あん?
逝きます。
ってな顛末で急遽オフ会を催すこととなった。但し、オフ会開催まで少々時間があった故、早足で安土城天主 信長の館と、安土城考古学博物館を見て回った。大した写真が撮れてないので、リンク先を見ると良い。ただ一点、
お土産コーナーにあった、天下布武Tシャツを紹介しておく。これは恥ずかしい。
某氏との待ち合わせ場所を多賀大社と定め、移動しようとしたら、ふとでっち羊羹のことを思い出した。数年前、四国工場でのオフ会に参加した折、滋賀の81乗りの方よりお土産として、このでっち羊羹を頂き、相方に喰わせたところ非常に好評だったのである。
それで、彼方此方の銘菓と同じく数店舗が製造をしておるのだが、特に滋賀の81乗りの方お勧めの和た与をカーナビで検索したところ、5キロくらいしか離れておらんことが判明した。
これは逝くしかない。
時間も少し余裕があったので、和た与を経由することにした。3本入り1袋と、単品で1袋買った。
その後、再び多賀大社に進路を取った。10分くらい遅れて到着。ただ、某氏も遅れて到着するとメールがあった。さらに、ご指定の駐車場が何処か分からず、最寄りのセブンイレブンに駐車して待つことにした。
さて、諸君。
四国にはセブンイレブンが無い。故にまちのお菓子屋さんシリーズを買い求めることが出来ない。
そして、相方のお気に入りであるカリカリタブルチーズが眼前にあった。
お土産に最適と買い占めた。因みに同様の行為を大阪でもやらかしした。ところで、何処のセブンイレブンに逝っても、カリカリタブルチーズは品薄か在庫切れだったのだが、内地では人気なのであろうか。情報を求む。
寧ろ、誰か腐敗家に送れ。カネなら払う。
買い占めを終わらせて暫くすると、某氏がやって来た。挨拶を済ませると、某氏はセブンイレブンへと消えて逝った。どうも腹が減っておるらしい。
クリーム系のパスタを携えて戻ってきた某氏を改めて迎え、銀週間のオフ会時には余り観察出来なかったところを見て周り、某氏のこの3連休の微笑ましい失敗談を聞いた。
そして、折角多賀大社まで来たんだから、参拝をしようってことで神社の駐車場まで移動し、参拝を済ませた。参拝後、いよいよ銀号(勝手に命名)の試乗である。助手席にな。
ドノーマルの蒼い號に比べ、やはり乗り心地はハードそのもので、マフラー音も車内に伝わってくる。某氏がノーマル車もイイなぁーって言うのも分かる。明らかにセッティングは違うが、こんな方向もアリである。というか、2JZのがさつな低音を掻き消すには、マフラー音が有効だと改めて思った。マフラーの交換か。
また出費が嵩む。
神社の駐車場に戻ると、GS460が止まっておったので、GS460オーナー不在のまま歴代オフ会へと雪崩れ込んだ。やっぱり、一番イイのは初代であるな。
こうやって3台現車を並べるのは初めてであったが、初代から3代目へとモデルチェンジするのが自然に見える。2代目はちょっと違うクルマな気がする。片やプロジェクターランプ、片や丸目4灯なので、この辺が違和感を覚えさせる原因かと思われる。
並べて間もなくして、GS460オーナーが戻ってきたが、歴代が揃っているのに気も止めず、そのまま走り去って逝った。
これが一般的なリアクションである。変態と思われない為にもこのリアクションは覚えておくと良い。
時間的に、そろそろ限界になってきたので、名残惜しみつつ散会となった。今度こそ鼻から出るくらいうどんを喰わせることを誓って。
彦根ICより名神高速を下って逝っておったら、渋滞に巻き込まれた。やはりこの時間は都心方向へ混むらしい。しかも京都・大阪・神戸という大都会への道なので、混みかたが半端ではない。
彦根ICから最初の1時間は20キロしか進まなんだ。
どうせ混んでるし、そろそろ燃料が怪しくなってきたので、多賀SAにて給油したが、リッター140円ってどうよ。
多賀SAを出ると、ますます渋滞は酷くなり、大阪での密会は中止と相成った。折角でっち羊羹買ったのに。
その後は、当日ケータイよりリアルタイムでお伝えした通りである。
では、最後に今回の燃費に憑いて。
今回の総合燃費。大阪市内でウロチョロしたり、復路の渋滞と淡路島での爆走を考慮しても、この燃費は破格に良いというか、とても3リットルターボ車とは思えない。
多賀SAにて給油後、自宅までの距離と燃費である。あんだけの渋滞と爆走で大台に乗っておるのは賞賛に値する。
吹田SAより自宅までの所要時間である。爆走効果を遺憾なく発揮しておる。徳島から自宅まですら、平均速度がぬわわを越えておったしな。
てなワケで、大変充実したドライブであった。年齢的にも独りでこなすにはこのくらいの距離が限度であろう。寧ろ、今回の経験を通じて、
東京まで逝かなくって良かったと痛感したのである。
翌12日、8時過ぎに目覚め、身支度を調え、9時過ぎにはホテルを出発した。目指すはモニカ信長の居城であった安土城である。大阪より100キロほど走らせると到着した。なんだ、思ったより近いじゃねえか。
無事に到着。だーれも居ないと予想し、例の貧乏性を発揮して、ゆっくり見学しようとしたらこの混雑であった。しかも、駐車料金として500円を徴収された。
さらに拝観料が500円。政治的陰謀である。また、モニカ信長公の像を特別公開しておるらしく、これも見学しようとしたら、もう500円徴収された。しかも、漏れなく憑いてくる抹茶とお菓子は品切れで、サービスが振る舞われないにも関わらず、500円より値引きは無かった。これも摠見寺に依る政治的陰謀である。
気を取り直して入城。大手道を登っていく。この写真の左に羽柴秀吉、右に前田利家の屋敷があった。尚、階段は急峻そのもので、まったく人間工学に則っていない作りになっておる。お年寄りや、足腰の弱い諸君は逝かないほうが良い。とはいえ、敵より攻め込まれにくいように設計しておるのだから仕方ない。
暫く登って逝くと摠見寺がある。しかしこれは最後に見学することにして、一路天主台を目指して逝った。
天主台に至る途中、モニカ信長公の霊廟があった。但し中には入れぬし、墓そのものは木漏れ日などの影響でどうしてもキレイに撮れぬ故、入り口の瓦にあった桔梗の紋、即ち織田家の家紋のみを掲載する。
本丸跡を越えて、ようやく天主台に到着。この写真は丁度基礎の部分に該当する。地下1階部分でもある。不親切が旨なので詳しくはググれ。
天主台からの眺めを満喫し、ついでに涼んでから復路に憑く。順路を逝くと旧摠見寺があった。写真はその山門である。現在の場所にある摠見寺は後年移転したもので、安土城が築城された当時は旧の側にあった。
順路を下り、ようやく摠見寺に到着。モニカ信長公の木像を拝観しておったら、お抹茶のサービスがございますので、こちらにお越しください。との声。流石に
一切の値引き無しで、茶の一杯も出さないのは、人としてどうよ。と気憑いてくれたらしい。
それで、一服しながら涼風に当たっておったら名古屋のアリスト乗りの某氏よりメールがあった。
お前、滋賀まで来てるんだってな。
ええ、まぁ。
どや、オフ会しねぇか?
いや、今は安土城を満喫している最中で。
じゃ、それが終わったら会おうぜ。
いや、安土城の考古博物館にも逝く予定で。
お前、俺様の誘いを断ろってのか、あん?
逝きます。
ってな顛末で急遽オフ会を催すこととなった。但し、オフ会開催まで少々時間があった故、早足で安土城天主 信長の館と、安土城考古学博物館を見て回った。大した写真が撮れてないので、リンク先を見ると良い。ただ一点、
お土産コーナーにあった、天下布武Tシャツを紹介しておく。これは恥ずかしい。
某氏との待ち合わせ場所を多賀大社と定め、移動しようとしたら、ふとでっち羊羹のことを思い出した。数年前、四国工場でのオフ会に参加した折、滋賀の81乗りの方よりお土産として、このでっち羊羹を頂き、相方に喰わせたところ非常に好評だったのである。
それで、彼方此方の銘菓と同じく数店舗が製造をしておるのだが、特に滋賀の81乗りの方お勧めの和た与をカーナビで検索したところ、5キロくらいしか離れておらんことが判明した。
これは逝くしかない。
時間も少し余裕があったので、和た与を経由することにした。3本入り1袋と、単品で1袋買った。
その後、再び多賀大社に進路を取った。10分くらい遅れて到着。ただ、某氏も遅れて到着するとメールがあった。さらに、ご指定の駐車場が何処か分からず、最寄りのセブンイレブンに駐車して待つことにした。
さて、諸君。
四国にはセブンイレブンが無い。故にまちのお菓子屋さんシリーズを買い求めることが出来ない。
そして、相方のお気に入りであるカリカリタブルチーズが眼前にあった。
お土産に最適と買い占めた。因みに同様の行為を大阪でもやらかしした。ところで、何処のセブンイレブンに逝っても、カリカリタブルチーズは品薄か在庫切れだったのだが、内地では人気なのであろうか。情報を求む。
寧ろ、誰か腐敗家に送れ。カネなら払う。
買い占めを終わらせて暫くすると、某氏がやって来た。挨拶を済ませると、某氏はセブンイレブンへと消えて逝った。どうも腹が減っておるらしい。
クリーム系のパスタを携えて戻ってきた某氏を改めて迎え、銀週間のオフ会時には余り観察出来なかったところを見て周り、某氏のこの3連休の微笑ましい失敗談を聞いた。
そして、折角多賀大社まで来たんだから、参拝をしようってことで神社の駐車場まで移動し、参拝を済ませた。参拝後、いよいよ銀号(勝手に命名)の試乗である。助手席にな。
ドノーマルの蒼い號に比べ、やはり乗り心地はハードそのもので、マフラー音も車内に伝わってくる。某氏がノーマル車もイイなぁーって言うのも分かる。明らかにセッティングは違うが、こんな方向もアリである。というか、2JZのがさつな低音を掻き消すには、マフラー音が有効だと改めて思った。マフラーの交換か。
また出費が嵩む。
神社の駐車場に戻ると、GS460が止まっておったので、GS460オーナー不在のまま歴代オフ会へと雪崩れ込んだ。やっぱり、一番イイのは初代であるな。
こうやって3台現車を並べるのは初めてであったが、初代から3代目へとモデルチェンジするのが自然に見える。2代目はちょっと違うクルマな気がする。片やプロジェクターランプ、片や丸目4灯なので、この辺が違和感を覚えさせる原因かと思われる。
並べて間もなくして、GS460オーナーが戻ってきたが、歴代が揃っているのに気も止めず、そのまま走り去って逝った。
これが一般的なリアクションである。変態と思われない為にもこのリアクションは覚えておくと良い。
時間的に、そろそろ限界になってきたので、名残惜しみつつ散会となった。今度こそ鼻から出るくらいうどんを喰わせることを誓って。
彦根ICより名神高速を下って逝っておったら、渋滞に巻き込まれた。やはりこの時間は都心方向へ混むらしい。しかも京都・大阪・神戸という大都会への道なので、混みかたが半端ではない。
彦根ICから最初の1時間は20キロしか進まなんだ。
どうせ混んでるし、そろそろ燃料が怪しくなってきたので、多賀SAにて給油したが、リッター140円ってどうよ。
多賀SAを出ると、ますます渋滞は酷くなり、大阪での密会は中止と相成った。折角でっち羊羹買ったのに。
その後は、当日ケータイよりリアルタイムでお伝えした通りである。
では、最後に今回の燃費に憑いて。
今回の総合燃費。大阪市内でウロチョロしたり、復路の渋滞と淡路島での爆走を考慮しても、この燃費は破格に良いというか、とても3リットルターボ車とは思えない。
多賀SAにて給油後、自宅までの距離と燃費である。あんだけの渋滞と爆走で大台に乗っておるのは賞賛に値する。
吹田SAより自宅までの所要時間である。爆走効果を遺憾なく発揮しておる。徳島から自宅まですら、平均速度がぬわわを越えておったしな。
てなワケで、大変充実したドライブであった。年齢的にも独りでこなすにはこのくらいの距離が限度であろう。寧ろ、今回の経験を通じて、
東京まで逝かなくって良かったと痛感したのである。
連休明けから今日まで3日間、毎朝5時起きで18時まで取材をしておったら、体が言うことを聞かぬようになった(挨拶
先の連休を逝かして、予告通り独り旅に逝って来た。
11日の昼前に高松を発ち、14時前、大阪に到着した。第一の目的地へと向かった。入場料が400円。某宮の鉄道博物館に比べ、4分の1程度とリーズナブルなのが良い。
やっぱりこだまである。尤もこれは精巧なレプリカで、実物の現存しておる先頭車は確か、某宮の鉄道博物館と、神戸にある川崎重工のみだったと思う。
これは相当やりたかったが、お子様が行列を作っておる中に、おっさんが混じるのも大人げないと思って断念。
これらの他、戦前の寝台車とか食堂車とか、中々侮れない展示物を多数保有しておった。中でも、初代新幹線0系のグリーン車や、ビュフェ(軽食堂)車などは、機械遺産や鉄道記念物に指定されておるようである。
で、持ち前の貧乏性を遺憾なく発揮し、隅から隅まで見学しておったら、既に16時を回っておった。道理で腹が減る。それで目に止まったのが、20系の食堂車ナシ20であった。この食堂車は当時の設備をほぼそのまま逝かして、営業をしており、ちょっとした旅情気分を味わいながら飯を喰うことが出来るイカす(死語)設備である。
20系客車は、腐敗が幼少の砌、温泉旅行にて岡山から別府まで、腐母と腐祖母の3人で乗ったことがある。確か、富士だったと思う。寝台車の上段ベッドを占拠しようとしたところ、腐母から落っこちたらヤヴァイと言われ、下段送りになったのを覚えておる。また早朝、このナシ20にて飯を喰ったのも覚えておる。但し何を喰ったかまでは覚えておらぬ。
まぁ、どうでも良い話はこの辺にしておいて、17時前になって足腰も疲れてきた故、蒼い號に戻り、クルマを適当に走らせながら発見したガストにて、今宵の宿に憑いて作戦会議を開くことにした。
翌日の安土逝きが少しでも楽になるようにと、滋賀の宿をと目論んでおったのに、ことごとく満室で、ならば京都と思ったら、流石3連休とあって、より一層宿が無かった。やっぱり今日の今日で出立するのは良くない。とはいえ、それが腐管理人の旅行スタイルだから仕方ない。どうしようかとヨーグルトサンデーを喰いながら考えておったら、
念のため、トランクに忍ばせておった寝具のことが過ぎった。
しかしながら、もう大阪で泊まろうと改めて宿を探したら、どっこもガラ空きであった。てなワケで大阪での宿泊が決定した。
宿にクルマと荷物を置いて、夜の帳に消えて逝った。割と深酒をして、0時近くになって宿に戻り、床に就いたものの眠たくならず、やむを得ず、冒険の旅に出発した。第一次産業(メタルキング猟)に勤しんでおったら、知らない間に寝ておった。が、冒険の書はちゃんと記録して眠りに就いたようである。深夜の努力が台無しにならず済んだ。
無意識とはいえ、恐るべき執念であるな、諸君。
先の連休を逝かして、予告通り独り旅に逝って来た。
11日の昼前に高松を発ち、14時前、大阪に到着した。第一の目的地へと向かった。入場料が400円。某宮の鉄道博物館に比べ、4分の1程度とリーズナブルなのが良い。
やっぱりこだまである。尤もこれは精巧なレプリカで、実物の現存しておる先頭車は確か、某宮の鉄道博物館と、神戸にある川崎重工のみだったと思う。
これは相当やりたかったが、お子様が行列を作っておる中に、おっさんが混じるのも大人げないと思って断念。
これらの他、戦前の寝台車とか食堂車とか、中々侮れない展示物を多数保有しておった。中でも、初代新幹線0系のグリーン車や、ビュフェ(軽食堂)車などは、機械遺産や鉄道記念物に指定されておるようである。
で、持ち前の貧乏性を遺憾なく発揮し、隅から隅まで見学しておったら、既に16時を回っておった。道理で腹が減る。それで目に止まったのが、20系の食堂車ナシ20であった。この食堂車は当時の設備をほぼそのまま逝かして、営業をしており、ちょっとした旅情気分を味わいながら飯を喰うことが出来るイカす(死語)設備である。
20系客車は、腐敗が幼少の砌、温泉旅行にて岡山から別府まで、腐母と腐祖母の3人で乗ったことがある。確か、富士だったと思う。寝台車の上段ベッドを占拠しようとしたところ、腐母から落っこちたらヤヴァイと言われ、下段送りになったのを覚えておる。また早朝、このナシ20にて飯を喰ったのも覚えておる。但し何を喰ったかまでは覚えておらぬ。
まぁ、どうでも良い話はこの辺にしておいて、17時前になって足腰も疲れてきた故、蒼い號に戻り、クルマを適当に走らせながら発見したガストにて、今宵の宿に憑いて作戦会議を開くことにした。
翌日の安土逝きが少しでも楽になるようにと、滋賀の宿をと目論んでおったのに、ことごとく満室で、ならば京都と思ったら、流石3連休とあって、より一層宿が無かった。やっぱり今日の今日で出立するのは良くない。とはいえ、それが腐管理人の旅行スタイルだから仕方ない。どうしようかとヨーグルトサンデーを喰いながら考えておったら、
念のため、トランクに忍ばせておった寝具のことが過ぎった。
しかしながら、もう大阪で泊まろうと改めて宿を探したら、どっこもガラ空きであった。てなワケで大阪での宿泊が決定した。
宿にクルマと荷物を置いて、夜の帳に消えて逝った。割と深酒をして、0時近くになって宿に戻り、床に就いたものの眠たくならず、やむを得ず、冒険の旅に出発した。第一次産業(メタルキング猟)に勤しんでおったら、知らない間に寝ておった。が、冒険の書はちゃんと記録して眠りに就いたようである。深夜の努力が台無しにならず済んだ。
無意識とはいえ、恐るべき執念であるな、諸君。

















