【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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なんということであろうか。
再来春に全線開業する九州新幹線の愛称がいつの間にか【さくら】になっておるではないか(挨拶
さくらという愛称自体は悪くない。JR●日本のたにがわとかなすのとかMaxなんちゃらとかに比べれば、遙かに重みがあり、また伝統に彩られ、特急の愛称に相応しいと思う。が、
この場面なら、常識的に考えると【つばめ】だろう、諸君。
さくらの愛称の歴史は昭和4(1929)年まで遡る。当時の国鉄は世界恐慌の煽りをモロに受け、減収の一途を辿っており、増収施策の一環として、特急列車に愛称を憑けることにしたのである。それまで、優等列車には愛称が無く、そのまんま、特急列車とか、急行列車と呼んでおった。
当時、日本では特急列車は2往復しか走っておらんかった。共に東京-下関を結び(関門トンネルはまだ無い)、下関からプサンへ船で乗り継ぎ、プサンからソウル、さらに北京、ロシア、欧州へと国際列車が連絡しており、彼の特急列車どもは、日本で最も栄えある地位を戴いておった。そのうちの1往復が公募の結果、さくらと命名されたのである。
がだ、諸君。もう1往復は富士と命名され、富士こそ最優等列車であった。何故なら、富士は1等車、2等車のみを連ねておったのに対し、さくらは3等車が中心で、どっちかといえば大衆向けだった。とはいえ、それでも唯二の特急列車には違いなく、国民から愛されておった。
翌、昭和5(1930)年、東京-大阪につばめが運行を始める。それまで、富士とさくらが東京-大阪を11時間くらいかけて走っておったところ、一気に3時間ほど短縮し、8時間20分で走破した。しかも1等車、2等車も連ねて、さくらより格上の特急列車として扱われておったのは勿論である。
因みに昭和17(1942)年、関門トンネルが開通すると、さくらは東京-長崎を結ぶようになる。
その後、太平洋戦争の影響で特急列車は廃止されるが、戦後間もなく、昭和25(1950)年に東京-大阪の特急としてつばめが復活する。翌年、つばめが好評なのを受けて、さくらも東京-大阪の特急として復活する。但し、3等車中心の編成で、それも臨時列車の扱いで。
つばめより格下なのは明らかだった。
さらにその後、昭和33(1958)年、一旦さくらは廃止されてしまう。さくらが復活するのは、翌昭和34(1959)年である。このとき、東京-長崎で設定され、戦前のさくらは此処に完全復活を遂げる。
ところが利用客の減少で、平成17(2005)年に廃止され、現在に至っておる。
一方つばめのほうは、昭和39(1964)年に東海道新幹線が開業すると、新大阪-博多の特急列車になる。さらに名古屋-熊本まで運行区間が延長され、国鉄的にも名門列車を大事に扱っておったようであるが、昭和47(1972)年、新幹線が岡山まで開業すると、岡山-博多・熊本・西鹿児島の列車になり、一挙にローカル色満載になった。さらに昭和50(1975)年、新幹線の博多開業で、走るべき路線が無くなり、廃止された。
現在九州で大きな顔をしておるつばめは、平成4(1992)年にJR九州が復活させたものである。
というわけで諸君、此処まで長々と綴っての通り、これまでの経緯を考慮すれば、常識的に考えて新大阪-鹿児島中央を結ぶべきは【つばめ】なのである。
故に、腐敗も列車名の公募の際、自信満々でつばめと記したし、どう考えてもつばめ以外有り得ぬと確信し、そして、いつかつばめ返しの如く、東京まで帰り咲く日を夢想すらしておった。
なのに、【さくら】。
さくらの復活そのものは喜ばしい限りだが、よりによってこの大事な場面で出てくるとは。さくらは咲いたものの、腐敗的にはサクラチル(電報っぽく)なのである。
今宵は痛飲決定であるな、諸君。
再来春に全線開業する九州新幹線の愛称がいつの間にか【さくら】になっておるではないか(挨拶
さくらという愛称自体は悪くない。JR●日本のたにがわとかなすのとかMaxなんちゃらとかに比べれば、遙かに重みがあり、また伝統に彩られ、特急の愛称に相応しいと思う。が、
この場面なら、常識的に考えると【つばめ】だろう、諸君。
さくらの愛称の歴史は昭和4(1929)年まで遡る。当時の国鉄は世界恐慌の煽りをモロに受け、減収の一途を辿っており、増収施策の一環として、特急列車に愛称を憑けることにしたのである。それまで、優等列車には愛称が無く、そのまんま、特急列車とか、急行列車と呼んでおった。
当時、日本では特急列車は2往復しか走っておらんかった。共に東京-下関を結び(関門トンネルはまだ無い)、下関からプサンへ船で乗り継ぎ、プサンからソウル、さらに北京、ロシア、欧州へと国際列車が連絡しており、彼の特急列車どもは、日本で最も栄えある地位を戴いておった。そのうちの1往復が公募の結果、さくらと命名されたのである。
がだ、諸君。もう1往復は富士と命名され、富士こそ最優等列車であった。何故なら、富士は1等車、2等車のみを連ねておったのに対し、さくらは3等車が中心で、どっちかといえば大衆向けだった。とはいえ、それでも唯二の特急列車には違いなく、国民から愛されておった。
翌、昭和5(1930)年、東京-大阪につばめが運行を始める。それまで、富士とさくらが東京-大阪を11時間くらいかけて走っておったところ、一気に3時間ほど短縮し、8時間20分で走破した。しかも1等車、2等車も連ねて、さくらより格上の特急列車として扱われておったのは勿論である。
因みに昭和17(1942)年、関門トンネルが開通すると、さくらは東京-長崎を結ぶようになる。
その後、太平洋戦争の影響で特急列車は廃止されるが、戦後間もなく、昭和25(1950)年に東京-大阪の特急としてつばめが復活する。翌年、つばめが好評なのを受けて、さくらも東京-大阪の特急として復活する。但し、3等車中心の編成で、それも臨時列車の扱いで。
つばめより格下なのは明らかだった。
さらにその後、昭和33(1958)年、一旦さくらは廃止されてしまう。さくらが復活するのは、翌昭和34(1959)年である。このとき、東京-長崎で設定され、戦前のさくらは此処に完全復活を遂げる。
ところが利用客の減少で、平成17(2005)年に廃止され、現在に至っておる。
一方つばめのほうは、昭和39(1964)年に東海道新幹線が開業すると、新大阪-博多の特急列車になる。さらに名古屋-熊本まで運行区間が延長され、国鉄的にも名門列車を大事に扱っておったようであるが、昭和47(1972)年、新幹線が岡山まで開業すると、岡山-博多・熊本・西鹿児島の列車になり、一挙にローカル色満載になった。さらに昭和50(1975)年、新幹線の博多開業で、走るべき路線が無くなり、廃止された。
現在九州で大きな顔をしておるつばめは、平成4(1992)年にJR九州が復活させたものである。
というわけで諸君、此処まで長々と綴っての通り、これまでの経緯を考慮すれば、常識的に考えて新大阪-鹿児島中央を結ぶべきは【つばめ】なのである。
故に、腐敗も列車名の公募の際、自信満々でつばめと記したし、どう考えてもつばめ以外有り得ぬと確信し、そして、いつかつばめ返しの如く、東京まで帰り咲く日を夢想すらしておった。
なのに、【さくら】。
さくらの復活そのものは喜ばしい限りだが、よりによってこの大事な場面で出てくるとは。さくらは咲いたものの、腐敗的にはサクラチル(電報っぽく)なのである。
今宵は痛飲決定であるな、諸君。
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豚豚子豚、何見て鳴くの、ブー(挨拶
此処2週間ほど、昼は編集、夜はシナリオ執筆をしておった。シナリオのほうは、先の金曜、添削に出して、ちょっとした手直しが帰ってきたところなので放置。この土日から昼の編集を全力で時々ネットをしつつ、仕上げておった。やはり、全日をかけてやるほうが能率が上がるな、諸君。
さて、編集は仕上がりが近づくと、色々とデコレートしたくなるのが腐敗流らしく、突如として完成度が上がってくる。しかも、その完成度が高くなるとさらにデコレートしたくなるのである。このスパイラルに陥ると時間を忘れて、あれやこれやと弄ってしまう。
その結果、今週になって帰宅するのは丑三つ時である。
そんなワケで今日は少し早く帰ろうと思う。
今朝なんか起床したのが11時だし、目覚めるとぽりさんが、ご主人、ワシのモーニングがまだなんやけど。って尻尾振って迫ってくるし、何かと不都合が多くなってきておる故。
では、諸君。夜更かしは程々に。
此処2週間ほど、昼は編集、夜はシナリオ執筆をしておった。シナリオのほうは、先の金曜、添削に出して、ちょっとした手直しが帰ってきたところなので放置。この土日から昼の編集を全力で時々ネットをしつつ、仕上げておった。やはり、全日をかけてやるほうが能率が上がるな、諸君。
さて、編集は仕上がりが近づくと、色々とデコレートしたくなるのが腐敗流らしく、突如として完成度が上がってくる。しかも、その完成度が高くなるとさらにデコレートしたくなるのである。このスパイラルに陥ると時間を忘れて、あれやこれやと弄ってしまう。
その結果、今週になって帰宅するのは丑三つ時である。
そんなワケで今日は少し早く帰ろうと思う。
今朝なんか起床したのが11時だし、目覚めるとぽりさんが、ご主人、ワシのモーニングがまだなんやけど。って尻尾振って迫ってくるし、何かと不都合が多くなってきておる故。
では、諸君。夜更かしは程々に。
オラ、もう帰る!(再
米沢牛ではない。アメリカ牛である(挨拶
今日は14時に目が覚めた。ここんとこ激務が続いており、しかも昨日から相方は実家に帰らせていただきますわ!って言い残し、目下ぽりさん共々帰省(正確には寄生)しておるので、起こしてくれる要員が誰もおらんのだ。
それで身支度をすべく、風呂の用意をしておったら、腐敗に温泉の神が降りてきて、汝、家風呂に入る勿れ。とお告げするので、だったら仕方ない。とばかりに温泉へと向かったのである。
温泉を堪能し、そのまま会社に向かうことにした。道中、腹の虫が大合唱が始まった。丁度そのとき、視界に入ったのが吉野屋である。
此処までは業界用語でいう前説である。
さて諸君。腐敗は昨春まで吉野屋へは近づこうとすらしなかった。米牛を喰って、30年くらい経ってからBSEを発病して、厚生労働省へデモ行進をするのがイヤだったからだ。従い、腐敗が50歳の誕生日を迎えたその日を以て、吉野屋の敷居を跨ごうと誓っておった。ならば、80歳で発病しても、寿命で死んだか、BSEで死んだか分からずに済むからである。
尤もそれまで逝きる気は無い。
無論、それまでに加工食品でも喰ってうっかり米牛を摂取する可能性もある。が、可能な限り予防したくなるのが人情じゃねぇか。
ところが、昨春、ラスベガスに逝ってから方針は180度転換した。
にしても、アメリカといえばステーキにバーボンだろう。おい、給仕、この10オンス(凡そ450グラム)のサーロインステーキを頼む。それと、ビールだビール。何? バドワイザーしかない? ハイネケンはどうした? 他に無いのか?まぁ良い、じゃ、バドで。バーボン? 要らない。さっきバーボンと言ったのはモノの例えだ。それっくらい空気読め。
こんな調子で、毎日牛を堪能しておった。
にしても、すげぇボリュームだ。こんなの毎日喰っておったら、そりゃ、(他のテーブルの客を指しながら)ヤツよろしく豚のように肥えるワケだ。
とかなんとか言いながら、腐敗も連日8〜10オンスのステーキにハンバーガーとかをパクパク平らげておった。1日当たり、500〜800グラムくらい牛を喰っておったと思う。まぁ遠慮がなくなるのも無理はない。第一美味いし、客と喰うから客が経費として出してくれるか、でなければ、こっちが経費で支払うからである。で、最終日が近づく頃、当たり前なことに気が憑いた。
よくよく考えれば、此処に来て以来、喰っていた牛といえば、米牛ではないか。もうこれで発病したとして、厚生労働省へ責任は問えぬではないか。否、因縁を吹っ掛ければ出来るが、デモ行進には参加したくねぇ。
それからちょっとだけ考えて、原因が分からぬまま発病するなら、禁欲的に米牛を拒絶せず、美味い米牛を喰って発病するほうがお得感が強いだと悟ったのである。これを毒喰らはば皿まで理論という。以来、この理論の実践に努めておる次第である。今日も実践に努め、豚丼に浮気することなく牛丼を喰らった。
美味かった。やはり外国牛といえば米牛であるな、諸君。
今日は14時に目が覚めた。ここんとこ激務が続いており、しかも昨日から相方は実家に帰らせていただきますわ!って言い残し、目下ぽりさん共々帰省(正確には寄生)しておるので、起こしてくれる要員が誰もおらんのだ。
それで身支度をすべく、風呂の用意をしておったら、腐敗に温泉の神が降りてきて、汝、家風呂に入る勿れ。とお告げするので、だったら仕方ない。とばかりに温泉へと向かったのである。
温泉を堪能し、そのまま会社に向かうことにした。道中、腹の虫が大合唱が始まった。丁度そのとき、視界に入ったのが吉野屋である。
此処までは業界用語でいう前説である。
さて諸君。腐敗は昨春まで吉野屋へは近づこうとすらしなかった。米牛を喰って、30年くらい経ってからBSEを発病して、厚生労働省へデモ行進をするのがイヤだったからだ。従い、腐敗が50歳の誕生日を迎えたその日を以て、吉野屋の敷居を跨ごうと誓っておった。ならば、80歳で発病しても、寿命で死んだか、BSEで死んだか分からずに済むからである。
尤もそれまで逝きる気は無い。
無論、それまでに加工食品でも喰ってうっかり米牛を摂取する可能性もある。が、可能な限り予防したくなるのが人情じゃねぇか。
ところが、昨春、ラスベガスに逝ってから方針は180度転換した。
にしても、アメリカといえばステーキにバーボンだろう。おい、給仕、この10オンス(凡そ450グラム)のサーロインステーキを頼む。それと、ビールだビール。何? バドワイザーしかない? ハイネケンはどうした? 他に無いのか?まぁ良い、じゃ、バドで。バーボン? 要らない。さっきバーボンと言ったのはモノの例えだ。それっくらい空気読め。
こんな調子で、毎日牛を堪能しておった。
にしても、すげぇボリュームだ。こんなの毎日喰っておったら、そりゃ、(他のテーブルの客を指しながら)ヤツよろしく豚のように肥えるワケだ。
とかなんとか言いながら、腐敗も連日8〜10オンスのステーキにハンバーガーとかをパクパク平らげておった。1日当たり、500〜800グラムくらい牛を喰っておったと思う。まぁ遠慮がなくなるのも無理はない。第一美味いし、客と喰うから客が経費として出してくれるか、でなければ、こっちが経費で支払うからである。で、最終日が近づく頃、当たり前なことに気が憑いた。
よくよく考えれば、此処に来て以来、喰っていた牛といえば、米牛ではないか。もうこれで発病したとして、厚生労働省へ責任は問えぬではないか。否、因縁を吹っ掛ければ出来るが、デモ行進には参加したくねぇ。
それからちょっとだけ考えて、原因が分からぬまま発病するなら、禁欲的に米牛を拒絶せず、美味い米牛を喰って発病するほうがお得感が強いだと悟ったのである。これを毒喰らはば皿まで理論という。以来、この理論の実践に努めておる次第である。今日も実践に努め、豚丼に浮気することなく牛丼を喰らった。
美味かった。やはり外国牛といえば米牛であるな、諸君。
オラ、もう帰る。