【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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名古屋に逝く前日、その名古屋より14アリスト乗りの御仁と、死のうどんツアーを決行しておった。朝食に餅を3個喰っておった腐管理人にとって5軒は辛かった。さらに夜は夜で例の鳥を満喫。御仁と別れた直後、今此処で熊に襲われたら、胃の中に【美味しい讃岐の詰め合わせ】が入ってる、ラッキー。と思われるんだろうなって思った(長い挨拶
その飽食の為、なかなか寝憑けなかった腐敗が翌日(即ち10日)に目覚めたのは、9時を軽く回っておった。本来なら6時に起床し、昼には名古屋に憑いて大ローマ展と計画しておったのに、早速行き当たりばったリストの本領を発揮。
とはいえ、幾ら何でもこれは良くないと思い、大急ぎで支度し、10時半には腐敗邸を後にした。そして、高松道をひた走りながら考えた。
出発したは良いが、大ローマ展を見学するには時間が不足しておるし、かと言って何処に逝こうか。
何と目的地も定めぬまま出発しておったのである。これぞ行き当たりばったリスト家元の実力というもの。ともあれ、まずは吹田まで進出することとし、それからの対策は彼の地で練ることにした。
尚、本来なら三木JCTまで駆け上がって東進するのが安く憑くが、時間を惜しんで阪神高速経由とした。それに神戸を眼下に愛でながら走るのが何とも愉快故。
吹田に到着したのは、13時過ぎ。この調子だと名古屋に憑くのは15〜16時である。やはり大ローマ展に逝くには時間が中途半端。そこで考えたのは、翌日、逝く予定にしておった、蒼い號の故郷・トヨタ田原工場への帰省【蕩児の帰宅ツアー】である。
ところが、到着時間を計算すると、17時を回りそうだった。こんなに遅く着いたのでは、暗すぎて撮影は叶わぬ。とはいえ、明日の予定を詰め込みすぎると、一層タイトなスケジュールになるのは自明だった故、撮影はギリギリセーフと脳内で設定した上で、田原工場に向かうことにした。
というか、名古屋から田原って遠過ぎ。
吹田を出て、京都での渋滞もなく、スイスイクルマを走らせた。そしてガソリンが減ってきたところで、草津PAに蒼い號を滑り込ませ給油した。此処までの燃費はリッター10.8キロをマーク。
さて、此処から四日市くらいまでは、新名神の情報がナビに載っていない関係上、吹田で貰った地図だけが頼りだった。
昔はこれで全然平気だったのに、すっかり文明の利器に浴しておったのが拙く、不安で不安で仕方なかった。といっても、道をそのまま進めば良かったから、謂われのない不安であった。
そして、ようやく伊勢湾岸道に突入。すんげえ走り易い。2個目のターボも本格過給し、チャージトルクが炸裂することもしばしばで、完全に蒼い號に走らされておった。
あの不自然な加速は麻薬であるな、諸君。
ところが、東名道に雪崩れ込んだところでまさかの渋滞に突っ込んだ。日はどんどん影り、焦り始めたのもこの辺から。しかもやっと思いで豊川ICを降りたら、あと30キロもある。さらに豊橋市内でも渋滞の洗礼を受け、田原工場に辿り着いたのは17時丁度だった。
後半は渋滞に巻き込まれ、アベレージスピードが落ちたが、伊勢湾岸道で貯金しておったお陰で、撮影するにはギリギリセーフだった。
何だか立派な建物の前で撮影することになった。これは客や役員を迎え入れる入り口なのか。と思いつつも撮影に没頭しておったら、何のご用でしょうか。と声掛けされた。出で立ちからして工場の総務の人間っぽかった。心配要らぬ。写真を撮っておるに過ぎぬ。とマヌケな返事をすると間髪入れず、敷地内での撮影はご遠慮いただいているのですが。と返された。
そりゃ、そうだわな。とはいえ、守衛も無く此処までスルーさせておいて、それは無いだろう。
とも思ったが、当然そんなことは口にせず、謝罪をして立ち去った。とはいえ、写真を消せとまでは言われなかったから、マヌケなアリストオーナーが、しょっちゅう撮影に来ており、トヨタとしても最低限、オーナーに気配りをしておるのではなかろうか。無論、目に余る行為に及べば、相応の対応をするに違いあるまいが。
と、苦しいフォロー。
さて、行き当たりばったリスト家元として第一の目的を完遂した故、名古屋まで戻り、明日への英気を養うことにした。
私が社長です。のホテルを予約し、美味い味噌カツの店を14アリストの御大に問い合わせた。それからホテルにクルマを入庫し、ひとっ風呂浴びて名古屋駅に向かった。
鉄板味噌ヒレカツ定食である。噂通り美味。但しもっと味噌は濃くても良いかもと思った。
で、名古屋だけらしい珍妙な商習慣に遭遇した。ラストオーダーが終わって間もなく、給仕がやって来た。で、レジを締めるのでお勘定宜しいでしょうか。
って、まだ喰ってるんだぞ。レジを締めるって普通閉店してからじゃねえのか。
そう給仕に訊くとマッハで恐縮された。怒っているのではなく、名古屋ではこんなものかと訊いただけなのだが、誤解を与えたらしい。腐敗はこのようなDo in Rome as the Romans do.的な問題を愉快に受け入れるが、余所の人間に依っては不快にさせるかも知れぬな。
ともあれ、店的には腐管理人は不愉快になった。という設定にしたらしく、味噌タレを余分にサービスしてくれた。
こうしてホテルに帰っても痛飲し、2日目に備えたのである。
その飽食の為、なかなか寝憑けなかった腐敗が翌日(即ち10日)に目覚めたのは、9時を軽く回っておった。本来なら6時に起床し、昼には名古屋に憑いて大ローマ展と計画しておったのに、早速行き当たりばったリストの本領を発揮。
とはいえ、幾ら何でもこれは良くないと思い、大急ぎで支度し、10時半には腐敗邸を後にした。そして、高松道をひた走りながら考えた。
出発したは良いが、大ローマ展を見学するには時間が不足しておるし、かと言って何処に逝こうか。
何と目的地も定めぬまま出発しておったのである。これぞ行き当たりばったリスト家元の実力というもの。ともあれ、まずは吹田まで進出することとし、それからの対策は彼の地で練ることにした。
尚、本来なら三木JCTまで駆け上がって東進するのが安く憑くが、時間を惜しんで阪神高速経由とした。それに神戸を眼下に愛でながら走るのが何とも愉快故。
吹田に到着したのは、13時過ぎ。この調子だと名古屋に憑くのは15〜16時である。やはり大ローマ展に逝くには時間が中途半端。そこで考えたのは、翌日、逝く予定にしておった、蒼い號の故郷・トヨタ田原工場への帰省【蕩児の帰宅ツアー】である。
ところが、到着時間を計算すると、17時を回りそうだった。こんなに遅く着いたのでは、暗すぎて撮影は叶わぬ。とはいえ、明日の予定を詰め込みすぎると、一層タイトなスケジュールになるのは自明だった故、撮影はギリギリセーフと脳内で設定した上で、田原工場に向かうことにした。
というか、名古屋から田原って遠過ぎ。
吹田を出て、京都での渋滞もなく、スイスイクルマを走らせた。そしてガソリンが減ってきたところで、草津PAに蒼い號を滑り込ませ給油した。此処までの燃費はリッター10.8キロをマーク。
草津PAにて目撃した一台。Bの人かと思った。
さて、此処から四日市くらいまでは、新名神の情報がナビに載っていない関係上、吹田で貰った地図だけが頼りだった。
昔はこれで全然平気だったのに、すっかり文明の利器に浴しておったのが拙く、不安で不安で仕方なかった。といっても、道をそのまま進めば良かったから、謂われのない不安であった。
そして、ようやく伊勢湾岸道に突入。すんげえ走り易い。2個目のターボも本格過給し、チャージトルクが炸裂することもしばしばで、完全に蒼い號に走らされておった。
あの不自然な加速は麻薬であるな、諸君。
ところが、東名道に雪崩れ込んだところでまさかの渋滞に突っ込んだ。日はどんどん影り、焦り始めたのもこの辺から。しかもやっと思いで豊川ICを降りたら、あと30キロもある。さらに豊橋市内でも渋滞の洗礼を受け、田原工場に辿り着いたのは17時丁度だった。
後半は渋滞に巻き込まれ、アベレージスピードが落ちたが、伊勢湾岸道で貯金しておったお陰で、撮影するにはギリギリセーフだった。
何だか立派な建物の前で撮影することになった。これは客や役員を迎え入れる入り口なのか。と思いつつも撮影に没頭しておったら、何のご用でしょうか。と声掛けされた。出で立ちからして工場の総務の人間っぽかった。心配要らぬ。写真を撮っておるに過ぎぬ。とマヌケな返事をすると間髪入れず、敷地内での撮影はご遠慮いただいているのですが。と返された。
そりゃ、そうだわな。とはいえ、守衛も無く此処までスルーさせておいて、それは無いだろう。
とも思ったが、当然そんなことは口にせず、謝罪をして立ち去った。とはいえ、写真を消せとまでは言われなかったから、マヌケなアリストオーナーが、しょっちゅう撮影に来ており、トヨタとしても最低限、オーナーに気配りをしておるのではなかろうか。無論、目に余る行為に及べば、相応の対応をするに違いあるまいが。
と、苦しいフォロー。
さて、行き当たりばったリスト家元として第一の目的を完遂した故、名古屋まで戻り、明日への英気を養うことにした。
私が社長です。のホテルを予約し、美味い味噌カツの店を14アリストの御大に問い合わせた。それからホテルにクルマを入庫し、ひとっ風呂浴びて名古屋駅に向かった。
鉄板味噌ヒレカツ定食である。噂通り美味。但しもっと味噌は濃くても良いかもと思った。
で、名古屋だけらしい珍妙な商習慣に遭遇した。ラストオーダーが終わって間もなく、給仕がやって来た。で、レジを締めるのでお勘定宜しいでしょうか。
って、まだ喰ってるんだぞ。レジを締めるって普通閉店してからじゃねえのか。
そう給仕に訊くとマッハで恐縮された。怒っているのではなく、名古屋ではこんなものかと訊いただけなのだが、誤解を与えたらしい。腐敗はこのようなDo in Rome as the Romans do.的な問題を愉快に受け入れるが、余所の人間に依っては不快にさせるかも知れぬな。
ともあれ、店的には腐管理人は不愉快になった。という設定にしたらしく、味噌タレを余分にサービスしてくれた。
こうしてホテルに帰っても痛飲し、2日目に備えたのである。
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