【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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その昔、ローマというところに住み着いた人々が居た。はじめ人々は富も知識も何も持っていなかった。やがて人々は街を広げ、国を広げ、並ぶものなき大国を築き、そして滅んだ。
人間が生きる。それには何が必要で何を作れば良いのか。彼の人々はそれを知り尽くし、それを叶える術を「文明」と呼んだ。
悪戯な神々が居た。人間はその悪戯に不思議に操られ、生きること以上のモノを求めてしまう。彼の人々の生き方が、飽くなき欲望という名の営みに変わったとき、その優れた文明も姿を変えた。
人間の限りない営みに余りにも身を委ねた人々。それを歴史はローマ人と呼ぶ。
↑本業の執筆っぽく挨拶。本気を出せば、これっくらい手もなく書けるのである。
さて、諸君。今日は退屈なので時間が空いたので、凡そ1年ぶりに【ローマな話】を加筆したい。とはいえ、難しい話はなるべく書かないと、腐敗自身に課しておるので、今回は喰い物の話。
西洋には卵からリンゴまでという言い回しがある。最初から最後までとか、一部始終という意味である。卵が最初でリンゴが最後って、それだけを見れば、なんのこっちゃだが、これはローマ時代のコース料理に端を発している。つまり卵が前菜の、そしてリンゴはデザートの定番であった。
そして、こんな言い回しが生まれるということは、その当時からコース料理なる概念があったということである。古代人だからといって、決して粗野な食生活ではなかった。ぶっちゃけ、その辺でゴロゴロしているニートより余程良いモノを喰っておった。
では、腐敗が苦労して収集した古代ローマの料理を披露しよう。一応コース料理っぽく列べてみた。

みじん切りオリーブとタマゴの前菜

イチジクと生ハムの前菜
今なお、イタリアンの定番メニューである

オリーブのキャビア
無論、チョウザメのキャビアは無かったが、製法そのものはこの時期に確立したらしい。

チーズ
松の実、ニンニク、クルミなどで風味憑けしていた。
前菜が終われば、スープ。

ベーコンと豆のスープ
いよいよ、メインっぽく。

ポレンタ・ミートソースかけ
当時はトマトが無かったので、ミートソースは肉そのままの色目であった。因みにトマトがヨーロッパにもたらされるのは、大航海時代になってから。

パテ
レバーペーストである。そのままでは見た目がイマイチなので、このように魚などの形に象ることもあった。

ハムのパイ皮包み

ハムのパイ皮包み・中身
当時からハムは存在した。この料理は蜂蜜で味付けされていた。トマトと同様、この当時は砂糖が無かったので、甘味料は蜂蜜が主だった。

ロブスターの炭火焼き
この辺から、贅沢ぶりがさらに加速。

ローストチキン・フルーツソース添え
この頃から、肉をフルーツソースで喰う方法が確立されておった。

仔山羊のロースト・胡椒風味
この頃の胡椒は非常に高価で、胡椒と銀が同じ重さで交換されていたという。さらにローマに輸入される際は、25%の関税が課せられた。この胡椒欲しさに大航海時代が始まったのは有名。

豚のロースト
このローストは、ガルムで味憑けけされておった。ガルムとは魚醤の一種で、日本のしょっつる、ベトナムのニョクナムと同じモノである。ローマでは、日本の醤油のような定番調味料だった。

仔豚の丸焼き
この料理には面白い嗜好が施されておる。

仔豚の丸焼き・中身
豚を真っ二つに切ると、ソーセージが出てくる。このように視覚的な仕掛けに凝って、客を驚かすこともあった。
ようやく、デザートに到着。

フルーツ盛り合わせ

ナツメヤシとクルミの蜂蜜煮

プリン

蜂蜜入りフルーツケーキ
現在のように、食後は甘いデザートが用意された。
とまぁ、こんな食事を毎日のように喰っておった。とはいえ、このような料理を喰うことが出来たのは、金持ちか貴族に限られた。嗚呼、勿論皇帝もである。
で、上記のような料理を調理したのは、勿論奴隷である。しかも上流階級になるほど、奴隷の役割も細分化されておった。つまり、前菜専用の奴隷。スープ料理専用の奴隷。メインディッシュ専用の奴隷。って具合である。さらに、客の前で切り分ける専用の奴隷も居た。この切り分けっぷりを優雅に見せるために、それ専用の学校まであった。
この細分化の最たるは、皇帝に傅く奴隷たちである。上記の役割分担に加え、前菜のナイフを手渡す専用の奴隷、スープ料理のスプーンを手渡す専用の奴隷。メインディッシュのナイフを手渡す専用の奴隷。って具合である。それぞれの料理に対して、ひとりずつ、ナイフやスプーンを手渡すだけの奴隷が居った。
これだけの料理、大食い選手権があったならば兎も角、とても喰いきれなかった。否、意外とあったかも。大食い選手権。とはいえ、喰いたいモノは喰いたい。この願いを叶えるべく、鳥の羽根を用意して、喉に突っ込み、喰った料理を吐瀉した。こうして胃袋を空っぽにして、次なる料理に挑むのである。鳥の羽根専用の奴隷、吐瀉物の片憑けをする奴隷が居たのは勿論だ。
夜な夜な繰り広げられる饗宴は、まさに飽食と悦楽の極みだった。少年や少女の奴隷を弄びながら、贅の限りを尽くした料理を食べては吐き、吐いては食べる。耳を覆いたくなるような猥雑な言葉が飛び交い、酒に酔ってはあられもない姿を晒した。
ひたすら、享楽の世界に耽り溺れる様は、繁栄をもたらした文明のもうひとつの姿だった。
しかしながら、庶民の食生活はこれとは遙かにかけ離れたものだった。次回、機会があればこの辺の話を記したい。
人間が生きる。それには何が必要で何を作れば良いのか。彼の人々はそれを知り尽くし、それを叶える術を「文明」と呼んだ。
悪戯な神々が居た。人間はその悪戯に不思議に操られ、生きること以上のモノを求めてしまう。彼の人々の生き方が、飽くなき欲望という名の営みに変わったとき、その優れた文明も姿を変えた。
人間の限りない営みに余りにも身を委ねた人々。それを歴史はローマ人と呼ぶ。
↑本業の執筆っぽく挨拶。本気を出せば、これっくらい手もなく書けるのである。
さて、諸君。今日は
西洋には卵からリンゴまでという言い回しがある。最初から最後までとか、一部始終という意味である。卵が最初でリンゴが最後って、それだけを見れば、なんのこっちゃだが、これはローマ時代のコース料理に端を発している。つまり卵が前菜の、そしてリンゴはデザートの定番であった。
そして、こんな言い回しが生まれるということは、その当時からコース料理なる概念があったということである。古代人だからといって、決して粗野な食生活ではなかった。ぶっちゃけ、その辺でゴロゴロしているニートより余程良いモノを喰っておった。
では、腐敗が苦労して収集した古代ローマの料理を披露しよう。一応コース料理っぽく列べてみた。

みじん切りオリーブとタマゴの前菜

イチジクと生ハムの前菜
今なお、イタリアンの定番メニューである

オリーブのキャビア
無論、チョウザメのキャビアは無かったが、製法そのものはこの時期に確立したらしい。

チーズ
松の実、ニンニク、クルミなどで風味憑けしていた。
前菜が終われば、スープ。

ベーコンと豆のスープ
いよいよ、メインっぽく。

ポレンタ・ミートソースかけ
当時はトマトが無かったので、ミートソースは肉そのままの色目であった。因みにトマトがヨーロッパにもたらされるのは、大航海時代になってから。

パテ
レバーペーストである。そのままでは見た目がイマイチなので、このように魚などの形に象ることもあった。

ハムのパイ皮包み

ハムのパイ皮包み・中身
当時からハムは存在した。この料理は蜂蜜で味付けされていた。トマトと同様、この当時は砂糖が無かったので、甘味料は蜂蜜が主だった。

ロブスターの炭火焼き
この辺から、贅沢ぶりがさらに加速。

ローストチキン・フルーツソース添え
この頃から、肉をフルーツソースで喰う方法が確立されておった。

仔山羊のロースト・胡椒風味
この頃の胡椒は非常に高価で、胡椒と銀が同じ重さで交換されていたという。さらにローマに輸入される際は、25%の関税が課せられた。この胡椒欲しさに大航海時代が始まったのは有名。

豚のロースト
このローストは、ガルムで味憑けけされておった。ガルムとは魚醤の一種で、日本のしょっつる、ベトナムのニョクナムと同じモノである。ローマでは、日本の醤油のような定番調味料だった。

仔豚の丸焼き
この料理には面白い嗜好が施されておる。

仔豚の丸焼き・中身
豚を真っ二つに切ると、ソーセージが出てくる。このように視覚的な仕掛けに凝って、客を驚かすこともあった。
ようやく、デザートに到着。

フルーツ盛り合わせ

ナツメヤシとクルミの蜂蜜煮

プリン

蜂蜜入りフルーツケーキ
現在のように、食後は甘いデザートが用意された。
とまぁ、こんな食事を毎日のように喰っておった。とはいえ、このような料理を喰うことが出来たのは、金持ちか貴族に限られた。嗚呼、勿論皇帝もである。
で、上記のような料理を調理したのは、勿論奴隷である。しかも上流階級になるほど、奴隷の役割も細分化されておった。つまり、前菜専用の奴隷。スープ料理専用の奴隷。メインディッシュ専用の奴隷。って具合である。さらに、客の前で切り分ける専用の奴隷も居た。この切り分けっぷりを優雅に見せるために、それ専用の学校まであった。
この細分化の最たるは、皇帝に傅く奴隷たちである。上記の役割分担に加え、前菜のナイフを手渡す専用の奴隷、スープ料理のスプーンを手渡す専用の奴隷。メインディッシュのナイフを手渡す専用の奴隷。って具合である。それぞれの料理に対して、ひとりずつ、ナイフやスプーンを手渡すだけの奴隷が居った。
これだけの料理、大食い選手権があったならば兎も角、とても喰いきれなかった。否、意外とあったかも。大食い選手権。とはいえ、喰いたいモノは喰いたい。この願いを叶えるべく、鳥の羽根を用意して、喉に突っ込み、喰った料理を吐瀉した。こうして胃袋を空っぽにして、次なる料理に挑むのである。鳥の羽根専用の奴隷、吐瀉物の片憑けをする奴隷が居たのは勿論だ。
夜な夜な繰り広げられる饗宴は、まさに飽食と悦楽の極みだった。少年や少女の奴隷を弄びながら、贅の限りを尽くした料理を食べては吐き、吐いては食べる。耳を覆いたくなるような猥雑な言葉が飛び交い、酒に酔ってはあられもない姿を晒した。
ひたすら、享楽の世界に耽り溺れる様は、繁栄をもたらした文明のもうひとつの姿だった。
しかしながら、庶民の食生活はこれとは遙かにかけ離れたものだった。次回、機会があればこの辺の話を記したい。
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この記事にコメントする
» こげちゃん
ありがとうございます。彼の地では、いつもウチのベーダーと遊んでいただき、ありがとうございます。
流石にこの年になると、誕生日といえども、嬉しさは半減ですが、他人様からおめでとうと言われるのは、嬉しいです。
流石にこの年になると、誕生日といえども、嬉しさは半減ですが、他人様からおめでとうと言われるのは、嬉しいです。