【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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やや尾籠な話故、要注意(挨拶
ネットの友人では約1名にしか知らせておらぬ事実について、諸君に公表したい。
さて、ここ数日腐敗の体調が頗る悪い。日頃から余計なことばかりしておる故、神々からの罰が下ったのかもしれぬが、差し当たり下っておるのは、腐敗の腹である。
火曜日のことだ。いつもより早く帰宅した腐敗は、異様に腹が減っておったので、晩飯をがっついた。諸君も知っての通り、相方は料理が上手なほうである。時折とんでもないモノを喰わされることもあるが、それを嫌がらせと解釈した場合、毎日嫌がらせをしておると、相方自身にも嫌がらせを喰うしかないという厄災が降りかかる故、嫌がらせメニューは稀である。つまり総じて毎日美味いモノを提供しておる。そして、過日のメニューもなかなか逝けておった。キムチ鍋の素をベースに肉じゃがチックな面子をコトコト煮た代物で、一見辛そうだったが、これが喰ってみるとマイルドで美味かったのである。
但し、量が幾分多かった。
とはいえ、喰えない量でもなく、最後は無理矢理押し込んで終了。さらに相方は見事に熟れたイチジクを冷蔵庫から持ってきた。食後に甘いモノを喰えば、消化にも良かろうと、喰ってみた。1個目を喰おうとしたときである。
うげっ、中身がカビてるっ
相方がそう言うので、隣のイチジクを覗き込むと、中身だけビッシリとカビが生えておった。こりゃ危険と思い、腐敗が剥き終えたイチジクを割ってみると、普通だった。そのまま喰ってみる。甘くて、うめぇじゃねぇか。さらにもう1個喰った。さらに甘かった。こうして、やや喰いすぎの感もあったものの、十分に満たされたのである。
ところがだ、
30分くらい経過して、腹が痛くなってきた。腐敗はいつもの喰いすぎたときの腹痛と判断し、トイレに向かった。しかしながら用を足したものの、腹痛はちっとも良くならない。徐々に腹痛は酷くなっていった。それから、こりゃ堪らん。と相方に申告したところ、チュアブルの胃薬を渡され、飲み込んだ。暫くすると、何となくながら復調してきたので、そのまま床に入った。
1時くらいだっただろうか。
ハッと目が覚めた。直後、激しく吐き気を催した。それから歯を磨いた。口の中をスッキリさせ、歯磨き粉の爽やかな香りを嗅ぐことで、吐き気を押さえることが出来るからである。それで暫くは耐えることが出来たが、今度は再び腹痛が襲ってきた。それも食後直ぐの痛みとは比較にならないほどの激痛である。急いでトイレに駆け込んだ。用を足した直後、再び吐き気を催した。遂に我慢出来ずに吐瀉。
鏡に映った自身の顔を見ると、真っ白になっておった。元々色白なのだが、何時にもまして、生気が抜けたようだった。それからというものの、
下痢→吐瀉→布団に戻る→痛みが増幅
斯様なスパイラルに陥ったのである。もうね、洒落にならねぇYO。これほどの腹痛は、学生の頃、宮島で喰った生牡蠣以来である。
ケヘケヘと死にかけた咳払いをしておったら、相方が目を覚ました。流石にビビッたらしい。正露丸正露丸と、呟きながら薬箱を漁っておった。ほどなく正露丸が見つかった。腐敗が飲もうとしたところ、直感が働いた。ちょっと待ち給え、使用期限を見給え。相方が外箱を見たところ、
2007年7月。
だった。これも嫌がらせであろうか。とはいえ、こんなときに嫌がらせしなくとも。そう思いつつ、腹は痛くなる一方だった。やがて痛みは頂点に達した。死にかけの声で、救急外来へ逝く。と告げて、準備をさせた。予め電話で問診をしたほうが良いらしいので、電話をして簡単な問診と受け入れの準備をしてもらった。パタパタと身支度をする腐敗らに、ぽりさんが気憑いた。
ちょっとアンタら、ワシを置いて何処に逝くん?
ワシは何時でも出発出来ますけど。
君は留守番だ。そう言い残して、病院へ向かった。
クルマの移動時間と、待合い室での時間がなんと長く感じたことであろうか。死にかけの腐敗を診て、女医さんは、イチジクに何かの菌が入っていて、元々弱っていた胃や腸で当たったのだろう。との見立てをくだした。
確かに此処暫く何かと忙しかったので、胃腸が弱っていたのは納得出来たが、同じイチジク、しかもカビたイチジクを僅かでも喰った相方がへっちゃらだったのは、どうしたことか。これも何かの嫌がらせであろうか。
翌水曜日は欠勤した。何時もの仮病じゃなくガチである。
それで今日も完調とは、とてもじゃないが言える状態ではない。故に今日の腐日記はこの辺で終わりにしておく。なんだかんだいって、しっかり長々と記してるじゃねぇか。などといった、空気の読めてないコメントは控えておくように。
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