【私はあなたであった。あなたは私になるだろう】
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同じ酒呑みとして謹んで哀悼の意を捧げます。
貴方の訃報に接したとき、驚きを隠すことが出来ませんでした。当初桜金造、否、中川秀直氏が逝去したと思い、驚いていたところ、実は同じ中川でも貴方のほうだと知り、もう一度同じ種類の驚きが直撃しました。
思い返せば、貴方ほど酒呑みとして日本中にその名を馳せた政治家は居ませんでした。
ミレニアム選挙で当選を決めた際、選挙事務所で既に飲酒をしていた貴方は、フラフラしながら万歳している姿を全国に放送され、お茶の間の話題をさらったり、当選ダルマに目を入れる際、酔っ払った勢いで墨の量を誤って黒い涙のようにしてしまい、周囲を慌てさせたという微笑ましいエピソードを残しつつも、自民党の要職や閣僚を歴任し、酒呑みながらデキる男でありました。このことが日本中の酒呑みにどれほどの勇気を与えたかは想像に難くありまえせん。
貴方は保守に徹した政治家として将来を嘱望されておりました。
典型的な農林族議員として知られていた貴方が、小泉政権にて経済産業大臣へ就任したことは事務方から驚きと困惑を以て迎えられましたが、日本の農業に打撃を与えかねない農業作物の自由化が問題となっていた自由貿易協定交渉を巡って、農林族の大物として党内の族議員の反発を抑えつつ、積極的に推進してメキシコ、フィリピンとの合意に至るなど、自由化に反対する族議員とは異なる姿勢を見せました。貴方が単なる利益誘導型の政治家ではないと証明した出来事でした。
財務大臣に就任されて間もない昨年10月に開催されたG7では、IMFに新興・中小国向けの新たな緊急融資制度を設ける構想を提案し、各国から高い評価を受け、実際にIMFからの緊急融資で救済された国もあり、彼らにとって貴方は正に恩人と呼ぶに相応しい存在でありましょう。
さらに外交や安全保障では保守の立場をより鮮明にし、中国や北朝鮮に対する強硬発言が目立っておりました。経済産業大臣時代、中国とのガス田問題では法的・理論的根拠による姿勢を崩さず、中国側の要求する共同開発についても、前提として日中中間線より中国側でも日本側に試掘を認めるよう再三要求し、弱腰が目立つ日本の外交の在り方に一石を投じられました。
また拉致問題に早くから取り組んできた政治家のひとりであり、拉致議連の会長も務め、問題の解決に尽力し、家族会より絶大な信用を得ていたことは周知の通りであります。
このように政治家として着実な歩みを重ね、一昨年には、党内の保守勢力を結集させるべく、真・保守研究会を立ち上げ、一定の影響力を得ることにも成功しました。総理総裁への地均しは確実に進んでおりました。
ところが今夏、政権交代の嵐と、酒に呑まれました。
彼の酩酊会見が致命傷となったと見る趣がありますが、あれっくらいの酩酊っぷりは、あの会見以前にも数多く遺しているのであります。
2004年の小泉政権時の内閣改造では、経済産業省を去った後、別の場所で飲酒をしていたところ、再任されて慌てて首相官邸に向かい、酔っ払ったまま初閣議に臨んだり、
2005年、地元で開催された後援会のパーティーの席上、既に酩酊状態だった貴方は、まともなスピーチが出来ず、某首長より一喝されたり、
2008年にスペイン国王を迎えて開催された天皇・皇后主催の晩餐会にて、奥様より制止されても暴飲を続け、東宮大夫の某氏に対し、「水問題について皇太子殿下もお詳しいと聞いたので是非お話しさせていただく機会がほしい」と絡んだところ、素っ気なく「無理」と返されたことに対して激怒した挙げ句「分かった、帰る!」と大声で怒鳴ったり、
と、数多の伝説で彩られているのであります。
とはいえ、政治家としては有能であった貴方のことだから、呑み過ぎることの恐ろしさを世の酒呑みに警鐘を鳴らしていた、と考えるのは穿ち過ぎなのでしょうか。
酒には強く、呑まれることは稀有と聞いておりましたが、同時に重圧に弱く、酒に頼る一面もあったとも聞いております。即ち酒で失敗したときは、それだけの重圧があるからで、逆に言えばそれが貴方の人間臭いところと言えば、詩的過ぎるのでしょうか。
ともあれ、貴方が肉体という名の枷から解放され、願わくば、アル中も、肝臓疾患も、世間体への配慮も無い冥界にて、心ゆくまで酒を愉しまれんことを。
貴方の訃報に接したとき、驚きを隠すことが出来ませんでした。当初桜金造、否、中川秀直氏が逝去したと思い、驚いていたところ、実は同じ中川でも貴方のほうだと知り、もう一度同じ種類の驚きが直撃しました。
思い返せば、貴方ほど酒呑みとして日本中にその名を馳せた政治家は居ませんでした。
ミレニアム選挙で当選を決めた際、選挙事務所で既に飲酒をしていた貴方は、フラフラしながら万歳している姿を全国に放送され、お茶の間の話題をさらったり、当選ダルマに目を入れる際、酔っ払った勢いで墨の量を誤って黒い涙のようにしてしまい、周囲を慌てさせたという微笑ましいエピソードを残しつつも、自民党の要職や閣僚を歴任し、酒呑みながらデキる男でありました。このことが日本中の酒呑みにどれほどの勇気を与えたかは想像に難くありまえせん。
貴方は保守に徹した政治家として将来を嘱望されておりました。
典型的な農林族議員として知られていた貴方が、小泉政権にて経済産業大臣へ就任したことは事務方から驚きと困惑を以て迎えられましたが、日本の農業に打撃を与えかねない農業作物の自由化が問題となっていた自由貿易協定交渉を巡って、農林族の大物として党内の族議員の反発を抑えつつ、積極的に推進してメキシコ、フィリピンとの合意に至るなど、自由化に反対する族議員とは異なる姿勢を見せました。貴方が単なる利益誘導型の政治家ではないと証明した出来事でした。
財務大臣に就任されて間もない昨年10月に開催されたG7では、IMFに新興・中小国向けの新たな緊急融資制度を設ける構想を提案し、各国から高い評価を受け、実際にIMFからの緊急融資で救済された国もあり、彼らにとって貴方は正に恩人と呼ぶに相応しい存在でありましょう。
さらに外交や安全保障では保守の立場をより鮮明にし、中国や北朝鮮に対する強硬発言が目立っておりました。経済産業大臣時代、中国とのガス田問題では法的・理論的根拠による姿勢を崩さず、中国側の要求する共同開発についても、前提として日中中間線より中国側でも日本側に試掘を認めるよう再三要求し、弱腰が目立つ日本の外交の在り方に一石を投じられました。
また拉致問題に早くから取り組んできた政治家のひとりであり、拉致議連の会長も務め、問題の解決に尽力し、家族会より絶大な信用を得ていたことは周知の通りであります。
このように政治家として着実な歩みを重ね、一昨年には、党内の保守勢力を結集させるべく、真・保守研究会を立ち上げ、一定の影響力を得ることにも成功しました。総理総裁への地均しは確実に進んでおりました。
ところが今夏、政権交代の嵐と、酒に呑まれました。
彼の酩酊会見が致命傷となったと見る趣がありますが、あれっくらいの酩酊っぷりは、あの会見以前にも数多く遺しているのであります。
2004年の小泉政権時の内閣改造では、経済産業省を去った後、別の場所で飲酒をしていたところ、再任されて慌てて首相官邸に向かい、酔っ払ったまま初閣議に臨んだり、
2005年、地元で開催された後援会のパーティーの席上、既に酩酊状態だった貴方は、まともなスピーチが出来ず、某首長より一喝されたり、
2008年にスペイン国王を迎えて開催された天皇・皇后主催の晩餐会にて、奥様より制止されても暴飲を続け、東宮大夫の某氏に対し、「水問題について皇太子殿下もお詳しいと聞いたので是非お話しさせていただく機会がほしい」と絡んだところ、素っ気なく「無理」と返されたことに対して激怒した挙げ句「分かった、帰る!」と大声で怒鳴ったり、
と、数多の伝説で彩られているのであります。
とはいえ、政治家としては有能であった貴方のことだから、呑み過ぎることの恐ろしさを世の酒呑みに警鐘を鳴らしていた、と考えるのは穿ち過ぎなのでしょうか。
酒には強く、呑まれることは稀有と聞いておりましたが、同時に重圧に弱く、酒に頼る一面もあったとも聞いております。即ち酒で失敗したときは、それだけの重圧があるからで、逆に言えばそれが貴方の人間臭いところと言えば、詩的過ぎるのでしょうか。
ともあれ、貴方が肉体という名の枷から解放され、願わくば、アル中も、肝臓疾患も、世間体への配慮も無い冥界にて、心ゆくまで酒を愉しまれんことを。
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